歌に秘められた哀しみと感謝 3・11に聴きたい曲

岩田 温

あれから五年経った。

すごい地震だった。何が起こったのか、理解するまでに時間がかかった。だが、東京にいた私には、これが津波につながり、多くの人々が亡くなることになるとは、全く想定も出来なかった。

震災後、色々な方々の経験、体験談を読み、そして、聞き、何度も涙が流れた。とりわけ多くの小学生が亡くなった大川小学校を訪問し、ご遺族の皆様のお話を伺った際、その哀しみの深さに言葉もなかった。

 

哀しみといえば、先日、偶然出会った音楽の関係者の方に興味深い話を聞いた。

X JAPANというロックバンドがある。 私はロック系の音楽が好きなわけではないのだが、何故か、このX JAPANの歌う『紅』という曲には、不思議な感動を覚えた。 何故、この『紅』という音楽にこれほど魅せられるのか。 お話を伺い、何となく、理由がわかった。 その方によれば、『紅』を作曲したYOSHIKIが、曲作りのときに念頭にあったのは、若くして自殺した父の姿だったという。

 

ある日、家に帰ると、真っ赤な紅の別人になったお父さんの姿があったという。若くして父を喪った哀しみ。この哀しみこそが『紅』の源なのだという。 『紅』は、孤独と哀しみが闇の中をひたすらに疾走し、突き抜けていく。 ただの疾走ではない。哀しみが疾走する。そこにこの音楽の魅力があるのかもしれない。

 

今日は3月11日。 様々な慰霊の仕方があっていいと思うが、私は一つの曲を繰り返し聴いている。 櫻という方の作り、うたっている『櫻の花』という音楽だ。 お父さんを阪神大震災で亡くし、お母さんは東北の大震災のボランティアに行った際に、過去の辛い記憶がフラッシュ・バックして、自殺してしまった。悲惨で壮絶なご家族を持つ歌手の歌だ。 この歌では、哀しみが哀しみではなく、感謝という形で表現されているのだが、それゆえに、哀しさがより一層深まり、そしてなお、明日への希望へと繋がっていく。哀しみを捨て去るのではなく、感謝という形に変えて、哀しみを持ち続けながらも、力強く明日を切り拓いていく。

 

決して哀しみを否定するのではない。哀しみを哀しみのままにせずに、生き抜いていく歌なのだ。 自分自身の歌が「この空のむこう」にいるお父さん、お母さんに届いているだろうかと、何度も問いかけるが、この問いかけには、愛があり、切なく、哀しい。だが、同時に、温かい希望がある。 おそらく、ここには日本人に特有の「宗教観」が表されている。 かつて、柳田國男は『先祖の話』の中で次のような指摘をした。

 

「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられている」 亡くなった父母が空の向こうで、自分の歌をきっと聴いていてくれているだろう。 その確信が彼女をして歌に向かわしめる。 亡くなった人々は、どこかわからない遠くにいってしまったのではない。 きっと、近くの空から、私たちを暖かく見守っている。 だから、我々が悲しみに暮れ続けるのではなく、善く生きるべきなのだ。 多くの人々が亡くなった本日、そんなことを思いながら、繰り返し『櫻の花』を聴いている。

岩田温


編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。