東日本大震災から5年の月日が経過しました。
震災による死者・行方不明者は約1万8500人、関連死を含めると犠牲者は2万1000人を超えます。
震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
16万人が住居と生計の手段を失いました。
被災地、そして避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。
政治が果たす役割は非常に大きいと思っています。
私が地方議員へと大きく踏み出したのも3.11がきっかけでした。
当日はたまたま衆議院議員会館におり、当時の政府からも政権を担っていた政党からも一切情報が入らず、地下のコンビニの商品はすべて一気に議員と秘書によって買い占められ、国会議員たちの様子に寒気がして
「私は、今この時に、この場所にいたくない」
と強く思ったと同時に
「この政治家たちの言動を一生覚えておこう」
と心に誓いました。
私はヒールを脱ぎ捨てて、寒空の中、国会議事堂前から我孫子へと歩きました。
そのときに避難所等の連絡が随時テレビ局の上司から入り、その指示に従いながら歩いていきました。
私はこの日が来るたびに当時のことを鮮明に思い出します。
私は被災地となった地元・我孫子のためにしがらみなく働きたいという想いから国会議員ではなく地方議員の道を選び、「完全なる無所属」での震災の年に行われた我孫子市議選で出馬を決めました。
当時政権を担っていた政党・政治家及び関係者から何度も「出馬をやめろ」という電話が私や家族、スタッフにまで来て、刺客候補まで送り込まれました。
更にはポスターはビリビリに破られ、落書き三昧。
・・・1日も持たないんです。
しかし、こんな手法で最年少の無所属の女性候補者を攻撃する人たちに対し、有権者は冷ややかで冷静な目をもっていたことが救いでした。逆に私への追い風となりました。
そして、3000票以上を獲得し、市議選に当選した瞬間に彼らは自宅に花をもってきたので、「結構です」と突き返しました。
そのときが政治の汚さを実感した最初の出来事でした。
選挙は自分が勝てば良いけれど、私は当時、議員会館にいた国会議員たち、その後の彼らの動きも私は決して忘れはしません。
政治は誰のためにあるのか。
国民、県民、市民のためにあるのであり、自分たちの身の保身や権力や名誉のためにあるものではありません。
私は、政局には一切とらわれない無所属の県議会議員としてやれることを全力で推し進めていきます。
水野 友貴 千葉県議会議員(無所属、我孫子市選出)
http://mizunoyuuki.com/
編集部より:このブログは「水野ゆうきオフィシャルブログ」2016年3月11日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、水野氏のブログをご覧ください。