国益をグローバルな視点で考察
朝日新聞の船橋洋一氏は、編集方針を左右できるはずの主筆を務めました。朝日新聞の一国平和主義路線とは違う国際感覚を持ちながらも、在任中はそれを生かせなかったようですね。どちらかといえば不遇で、数年前、突然のように退任したので、何かあったのだろうと想像してました。
最近、「21世紀 地政学入門 (文春新書)」を出版しました。グローバルな視点に立ち、国際情勢を多角的に解剖しています。一読するうちに、これは古巣の朝日新聞に対する痛烈な批判が込められているという印象を持ちました。
朝日新聞の記者が多少なりとも、地政学的な思考方法を身につけていたら、どうだったでしょうか。慰安婦問題や原発事故などを異様なほど凝視するあまり、新聞史上に残る誤報、捏造問題を招き、自ら掘った墓穴に落ち込むこともなかっただろうに、と思いました。
反政府、親政府でもないグローバリズム
退社してから,公共的な政策を提言する機関「日本再建イニシャティブ」を設立し、福島原発の事故を検証したり、安全保障問題を扱ったりして、多数の著書を書いています。反政府でもない、親政府でもないグローバリズムに立脚しているとでもいうのでしょうか。
船橋氏は今回の著書で「地理、歴史、民族、宗教、資源、人口を抜きに国家戦略を立てられない」と強調しています。「外交も経済も市場もどこも、地政学的なリスクが高まっている」、「地理、歴史のような変えようがない要素、民族と宗教のように変えにくい要素が国家間の摩擦をもたらすリスクになっている」などと、指摘しています。
「米国の支配力の衰退で、それぞれの地域で地域大国が伸張している」、「アジアは地政学のるつぼだ」、「日本は地政学的な直観力を身につけなければならない」、「中国は地政学的発想に秀でている。日本と中国との間には大きな落差がある」、などなど。
特定の問題ばかり凝視する日本
日本と中韓の問題といえば、すぐに慰安婦、領土問題、反日デモなど、日本の関心は特定の問題に集中し凝視しがちですね。メディアにおいても、「尖閣列島が有事の際、米国は日本をどこまで支援するか、守るか」、「ソウルの日本大使館前の慰安婦少女像は撤去されるのか、いなか」などの議論が熱気を帯びます。熱中するあまり、国際情勢の全体像が遠景に追いやられてしまう傾向がありますね。
朝日新聞がスクープと称した福島原発からの退避騒ぎでは、命令に反して逃避したことの有無が焦点になりました。船橋氏は、「何をバカなことを騒いでいるんだ、と言いたい。逃げていないではないか。本店だとか官邸だとかで、くだらない議論している」との吉田所長の証言を紹介しています。命令違反とかでなく、緊急時の体制、陣容をどう考えるかが問題の核心なのですね。
直面する危機は何か、その意味は何かを明確にすべきなのです。船橋氏は「危機に伴う様々な雑音(ノイズ)の中から確かな信号(シグナル)をつかみだし、国民に伝えることが大切だ」と主張します。政治やメディアは、右も左も、ノイズばかり論じていることがいかに多いことでしょうか。
ノイズに引きずられる日本
対中、対韓問題では、日本はノイズに振り回されるうえ、反中、反韓感情を判断基準にする習性から抜け出せず、長期的な国益をどう考えるかを後回しにする例は山ほどありますね。これは朝日問題ではなく、一部の全国紙、右寄りの保守論壇にもみられる一点凝視型思考への警告です。
安倍政権にも注文をつけています。「安倍政治には復古保守が流れこんでいる。靖国神社参拝にみられるようなポピュリズム的復古保守政治は21世紀の課題に応えられない」、「過去を直視する正しい歴史認識を持ち、ナショナリズムを抑えることだ」。
最後に。ウクライナも地政学的な紛争の場です。「欧州は、ウクライナがEUとロシアの緩衝国家になること願う」、「一方、ロシアはウクライナを破綻国家にしようとする。国家的廃人にし、支援する欧米のコスト莫大にし、ウクライナを見捨てさせる」。地政学からすると、そういうことなのでしょうね。ロシアの武力侵攻を非難するばかりでなく、危機の底流に迫る論調が日本にはほしいですね。
中村 仁
読売新聞で長く経済記者として、財務省、経産省、日銀などを担当、ワシントン特派員も経験。その後、中央公論新社、読売新聞大阪本社の社長を歴任した。2013年の退職を契機にブログ活動を開始、経済、政治、社会問題に対する考え方を、メディア論を交えて発言する。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年3月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。