「クソッ!」
経歴詐称を暴かれ、全てのメディアからの降板を余儀なくされたビジネス・コンサルタント、サイモン下山氏は毒づいた。疲れきった体を自宅のソファに投げ出し、バカラのグラスをあおる。ウィスキーが喉の奥を焼いた。
最後の出演となったラジオ番組では、不覚にも涙で声が震えた。なぜ涙したのか、自分でもわからなかった。突然暗転した自分の運命に、憐れみを感じてしまったのか。いや、最初は罪もないと思えたウソから自分のキャリアが急上昇し始めた時から、自分を哀れに思う気持ちなどこれっぽっちもなかった。これで失うものなどたかが知れている。サイモン氏はからいばり半分、本気半分でそう思っていた。ではなぜ泣けたのか。今、自分の心にあるものは悲しみではない。それは怒りだった。しかし自分は何に怒りを感じているのだろう。
自省などという、殊勝な気持ちが湧き上がる自分への腹立たしさを静めるかのように、またウィスキーをがぶ飲みする。喉の奥の焼けが鼻腔の奥をつき、サイモン氏は顔をしかめ、目を閉じた。
再び目を開けるとそこには一人の少年が立っていた。
「誰だ、お前は!どこから入ってきた!」
少年は急に怒鳴られたことにビクッとし、そして悲しげな微笑みでサイモン氏を見返した。
「覚えていないの?」
サイモン氏は少年の顔を見つめ返し、息を飲んだ。あか抜けない、一直線にそろった前髪と一重まぶたの少年は、整形前のサイモン氏の少年時代の顔だった。
「クソッ...こんな幻影を見るとは...オレもますますヤキが回ってきたな。」
「安心して。ボクはただのガイドだから。これから3つの幻があなたを訪れるけど、ボクはその幻たちへの入り口。そして...」
「何をほざいてるんだっ。とっとと消え失せろ!」
サイモン氏が怒鳴りつけると、少年の姿は消え失せた。代わりにそこにはクシャクシャのTシャツにジーンズ姿の外国人の青年が立っていた。青年は手を上げて、親しげにサイモン氏に笑いかけた。
「やぁ。しばらくだな。」
サイモン氏は目を疑った。
「お前は...ハーヴァードの...」
「そう。懐かしいだろ。熱心に講義を聴きに来ていた聴講生の君に声をかけた...あれからもう20年以上か。」
「その『ハーヴァード』で今酷い目にあっているんだがな。」
「あぁ。まぁ大体のことはさっきの子に聞いたよ。」
「用意のいいこった。」サイモン氏は吐き捨てるように言って、またグラスに口をつけた。
「まぁまぁ。でもあの時オレが言ったこと、覚えているか?」
「ん?通りすがりの話ぐらいしかしなかっただろ。」
「覚えていないのか。残念だな。」
「そんなたいそうなことを語り合うほどの中じゃなかったろ。」
青年はサイモン氏の顔を正面から見つめなおし、優しい声で語り出した。
「お前、熱心に講義ノートを取っていただろ。だから言ってやったのさ。『講義を聞いて、ノートを取ってるだけじゃ、自分のものならないぞ』ってな。」
「あぁ、思い出した。聴講生の身分のオレにイヤミな奴だと思ったさ。」サイモン氏は青年の視線を避けるようにかぶりを振った。
「やっぱり誤解していたか。」青年は目を落とした。
「なんだと?」
「いや、オレが言いたかったのはな...」青年は再びその目にサイモン氏を捉えて続けた。
「講義や読書で得た知識をエッセーや論文にして自分なりにアウトプットしなければ、本当の教育にはならないということさ。」
「ふん。余計なお世話だ。」サイモン氏は毒づいた。
「こう見えてもな、オレだって本の4・5冊ぐらい書いているんだ。こうなる前はな、講演であちこちのイベントにお呼びがかかるご身分だったのさ。」サイモン氏は青年を見返した後、またグラスに顔を埋めた。
「そうか。それは良かった。そうしたアウトプットの質がお前の本当の価値だからな。」
「...まぁそれほど大した中身があるわけじゃない。」
「はぁ?あぁ...本のことか。そうクサるな。とりあえずそれがスタートなんだから。」
「もうスタート地点はとっくに通過しているつもりだったんだがな。」
「スタートに立ち返るのも悪くはないだろう。」
「スタート以前に引き戻された...っていうほうが当たっている。」
「スタート地点から伸びているコースは一つじゃない。」
「励ましてくれている気持ちはありがたくもらっておくよ。」
「そうか...じゃ、最後に...『すべての人を少しの間だますことはできる。一部の人をずっとだますこともできる。しかし、すべての人をずっとだますことはできない。』」
「なんだとォ?またエラソーに。」
「バカ。リンカーンだよ。」
「ふん。」
「もっとも自分で自分をだまし通すののが一番無駄な努力だ。お前もつかれたろう。少し休め。」
「チクショー...同情なんざ、こっちから願いさげ...」
サイモン氏が言葉を終える前に、青年の姿は音もなく消えさった。
サイモン氏が元の闇に戻った空間に目を凝らしていると、闇はまた蠢き、そこには日本人男性が立っていた。
のっぺりとした色白の顔に、黒縁メガネ。それはサイモン氏がレギュラーのコメンテーターとして登場していたテレビの報道番組のキャスターだった。
「サイモンさん...もうこっちはね...大変なんですよ...。」男は息せきるようにまくしたてた。
「はぁ...ご迷惑をおかけして...」突然のことにサイモン氏は紋切調の返事をつぶやく。
「まぁ...しょうがないですけどね。」
「はぁ...でも、『いいコメントしてくれていた』と言ってくれて...ありがとうございます。」
「あぁ...アレね。」
「それが、学歴程度のことで...」サイモン氏は言い訳がましい口調になっている自分が不甲斐なく、言葉を続けられなかった。
「でもね、サイモンさん...」男は隠しきれない皮肉を口の端に浮かべて、言葉をつないだ。
「コメントなんざ、言ってくれるのは誰でもいいことなんですよ...こっちとしては。」
「はぁ?」
「コメントっていったって、中身は視聴者の皆さんが、なんとなく思っていることをなぞっているだけでしょ。」
「えぇ...まぁ...そうですね...あんな短時間ですから...」反論できない悔しさをサイモン氏は胸の内に収めつつ、いたしかたのない相槌を打った。
「私たちが欲しかったのはね、『おーせんしちー』だったんです。」
「へ?あぁ、authenticityですか。」
「そう。その、『おーせんしちー』。要するにホンモノってことですかね。」
「なんですか、いまさら...」
「考えてもみてくださいよ。まともなテレビ番組が作れないテレビ局。それが報道番組を作れない制作会社に下請け出して作っているのが私らの番組でしょ。記事が書けない記者。海外が苦手な特派員。私だってホンモノのニュースアンカーじゃない。」男はせきを切ったかのように、嬉しそうな微笑さえ浮かべて自虐的な物言いを続けた。
「元はプロ...」
「まぁ、そういうことです。そうした中で、ホンモノのアメリカ一流大学を出て、憧れのキャリアを生きて、見た目も感じも国際派っていうあなたが、家でボケ〜っとテレビを眺めている人たちが漠然と抱いている意見を裏書してくれる...それがあなたの存在価値だったわけです。」
「...」サイモン氏には返す言葉がなかった。
「そのホンモノだと思っていたものがニセモノだったてことがね...」
「じゃぁ、私の意見や発言内容は...」サイモン氏はすがるように尋ねた。
「テレビはね、見た目が90%なんです。」決めゼリフのように男は言い捨てた。
「じゃぁ、あなたの存在価値は...?」言われっぱなしのサイモン氏は、せめてもの反撃をと、矛先を返そうとした。
「だから言ったでしょ。私は『なんちゃって』なニュースアンカーで売り出したんです。最初からニセモノで売っているんですから、罪はない。なんちゃってニュースアンカーが顔の、なんちゃって報道番組。でもそれが全てじゃあれなんで...」
「私のウソが利用された...と。」
「ま、結果としてウソだったということですが、早い話がそういうことです。」
自虐の諧謔と、底の見えない虚構への絶望が、部屋の闇の淵のあたりを覆いつくしていた。
「おかげでこっちの責任も『チェックを怠った』という限定的なもので済んでいる。公共のテレビ電波の利権を寡占しているのに、まともな報道番組が作れていないなんて本質的な責任問題になっちゃったら、それこそ大変ですから。」
「そんな、勝手な...それじゃ私の立場は...」
「おっと...言葉に気をつけてくださいよ。今、悪いのはあなたなんだ。」
「...」サイモン氏が思わず拳を握ると、メガネの男性は哀れみの視線と皮肉な笑いをサイモン氏に投げかけ、消えていった。
打ちひしがれたサイモン氏が無意識のうちにグラスの底に残ったウィスキーを飲み干すと、また最初の少年が現れた。
「クソッ...またお前か。どうした。3番目の幻ってのはどこのどいつだ。」
「大人ってイヤだね。」少年は消え去っていくニュースキャスター氏の幻の跡を目で追いながら、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「こんなオレのことも嫌いか?」サイモン氏はようやくに襲ってきた酔いを感じながら少年に聞いた。
「ううん。ボクはおじさんのことは好きだ。」
「そりゃそうだ。オレはお前の未来の姿なんだからな。」
「それはね...ちがうよ。」少年はサイモン氏の顔を覗き込むようにして言った。
「何が違うってんだ?お前はオレの想像から出てきた昔のオレの姿だろう。正直、自分の想像力ってやつがここまでイヤミな作りになっているとは思ってもみなかったがな...。」
「ううん。ボクは昔のあなたじゃない。ボクはまだ生まれていないんだ。」
「なにぃ?!」サイモン氏は少年の姿を改めて見返した。
「そう、まだ生まれていない、昔のあなたにそっくりな男の子。」
「ということは...まさか...バカな!」
「そう。まだ生まれていない。でももうすぐ会えるよ。今みたいな幻じゃなくて、ホンモノの姿で。」
「...」
「その時はホンモノのお父さんに会えることを楽しみにしているから...今は、さようなら。」
少年は笑顔と共に手を振り、サイモン氏はそれと気づかず、目尻の涙を拭った。
再び見る部屋に少年の姿はなかった。
(チャールズ・ディケンズへ謝罪を込めて。)