フリーランス女医が教える 「名医」と「迷医」の見分け方

城 繁幸

 

ドラマ「ドクターX」の監修も行った著者による、医療現場のリアルを赤裸々につづった本書。実に刺激的かつ、雇用問題としても興味深い内容だ。というのも、もともと専門職であり職務給とも馴染みやすい医療は、労働市場の流動化の先行モデルとして適しているためだ。

著者の主張をまとめると、大きく以下の3点に絞られる。

既存の大病院や大学病院はこてこての終身雇用・年功序列型組織である

意外に知らない人も多いようだが、よくテレビなどで「年収ウン千万」と豪語している先生は(成功している)開業医であり、勤務医の多くは年収1000万~1500万くらい、ちょっとリッチなサラリーマンといった給与水準に過ぎない。

くわえて、「ポスト不足」や「組織の高齢化」といった諸問題に直面しているという点でも、医者とサラリーマンはそっくりだ。若手もなかなか配属されないしポストも足りないから「“臨床教授”だの“特任教授”だのといったポストを乱発して中高年医師の自尊心を満足させてやりつつプレイングマネージャーとして前線投入」という話は、担当部長とか課長代理とかと置き換えればそのまま民間企業でも普通に見られる光景だ。

でも終身雇用・年功序列の最大の弊害は、やはり個人ごとの明確な評価、処遇システムが欠落している点だろう。多少の査定はあっても基本的に各医師は勤続年数に応じて処遇も役割も上がっていくのだが、実際にはスキルは人によってピンキリである。すると腕のあるドクターのもとには次々に過酷なオペが舞い込み週に二日も三日も徹夜する一方、「あの人に頼むと患者殺すレベル」的な人はあっさり定時上がりが可能となる→でもお給料に大した違いはないから「ヤブほど時給が高くなる」という恐ろしい現象が発生することになる。

そして、それらは崩壊の瀬戸際にある

当然のことながら、これでは優秀者や将来性のある若手はやっていられない。比較的流動化しやすい専門を中心に、医師の流動化は既に始まっている。「俺に逆らったらもうおまえの出世の芽はないからな」という白い巨塔時代の絶対君主的な主任教授はすでに過去の存在になりつつあると著者はいう。なぜなら現在は多くの“医師専門人材紹介会社”が存在し、労働環境の悪い職場からよりよい環境へのエグジットを熱心にサポートしてくれるから。

「俺に逆らったらおまえら、分かってるだろうな」
「じゃ辞めます」
「え・・・?」

という感じで、マネジメントの悪い部局からは部員丸ごと逃散なんてことも近年では勃発しているそうだ。

当然ながら、こうした事態は学会のエスタブリッシュたちにとっては面白いはずがない。転職なんてもってのほか、若手は上のものに無条件で服従すべきだというのが彼らの言う古き良き伝統なのだ。実際、某学会理事長は学会ニュースレター上で病院における滅私奉公を拒否して流動化する医師たちを公然と「モラルの喪失と感じさせる案件」と非難した。

で、それに対する著者の回答はコレである。

(理事長殿は)

「『論文2本で教授になる方法』とか『インパクトファクター6で学長になった僕』といったハウツー本でも書けば、かなり売れるんじゃないだろうか」

ネットは転職ハードルを下げただけでなく、実績が薄いにもかかわらず年功序列でポストに就いた人をも丸裸にしてしまう。そういう人がどんな高尚なことを言ったところで「俺も滅私奉公したんだからお前らもやれよ」という本音は丸見えだ。

こうして優秀者が流動化する以上、彼らの腕を買うためにはそれに見合った報酬を用意するしかない。そしてそのためには分不相応に貰っている人間を切るしかない。医療においては長期雇用の崩壊と流動化は避けられないだろうというのが著者の見方だ。

労働市場の流動化は素晴らしいメリットにあふれている

さて、そうして一足先に組織から流動化した医師たちの処遇だが、中には複数の大病院と契約し一億の大台を稼ぐ猛者もいるほど活況だという。そこまでがっつかなくとも、確かな技術と経験があり、初めてのスタッフとも良好にコミュニケーションの取れる能力さえあれば、勤務医時代を大きく上回る処遇を確保することは十分に可能だそうだ。

なにより、そこには多様な働き方の無限の可能性がある。自身も母である著者の意見は傾聴に値する。

産休・育休も、本人は無給となるが、周囲には迷惑がられることはない。育児時短を取る際も、出来高制の契約ならば同じ病院で働いても「麻酔2件で16時に帰る医師」と「4件で21時まで働いた医師」にはそれなりの報酬差が発生するため、両者に軋轢は生じない。

本来、働きぶりに応じて処遇を決めさえすれば、何の不満も不都合も生じることはない。そのプロセスに、賃金や雇用を維持させようと政府が手を突っ込むからいろいろと歪みが生じるのだ。

もちろん、組織を離れた人間は完全に自己責任が問われることになる。スキルが低かったり人間性に難のある人材はすぐに干され、誰からも声のかからなくなる弱肉強食の世界だ。でも、それは同時に、もっとも健全な世界でもある。

ドラマ「ドクターX」の暴騰では「命のやり取りをする医療も弱肉強食の時代」とナレーションされたが、「命のやり取りをする医療」だからこそ「弱肉強食」であるべきなのだ。とくに、静止を左右する手術室とはそういう職場であるべきだ。

「ホントは自信無いんだけど昇進に実績必要だから切らせてよ」みたいなセンセイにオペされたり、優秀がゆえに徹夜続きのふらふらの中堅ドクターに腹ン中に手突っ込まれたりするよりも、市場原理の行き届いた病院で処置していただきたいと願うのは筆者だけではないだろう。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2016年4月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。