2016年4月9日東京辰巳国際水泳場。リオ五輪への出場権をかけた日本選手権水泳競技大会第6日。
200m個人メドレーで萩野公介選手(作新学院出身)は、自身が持つ日本新記録を0.26秒更新し1分55秒07をマーク。400m個人メドレー、200m自由形と合わせ3冠を達成し、男子400mリレー代表も含め、オリンピック4種目への出場を決めました。
ちなみに今回の日本新記録は、前年の世界選手権でロクテ選手が優勝した1分55秒81を大きく上回る好タイム。それでも萩野選手は、「まだまだ、こんなものじゃない。もっと良いタイムを出して必ず金メダルを獲ります」と宣言しました。
全種目を通じて、他の選手を大きく引き離す圧巻の泳ぎ―しかしその陰には、選手生命さえ危ぶまれた9ヶ月にも及ぶ苦悩と苦闘の日々がありました。
前年7月3日の朝、「萩野選手が海外合宿先で右肘を骨折」という一報が、彼のお母様から作新学院に入りました。その日の午後に予定されている記者会見に先立ち、母校である本学に「いつも応援していただいているのに本当に申し訳ありません」と、ご丁寧なお詫びの電話を入れて下さったのでした。
その日の夜、記者会見での憔悴しきった萩野選手の姿をテレビニュースで見た瞬間、胸が潰れそうになったことを、今でも鮮明に思い出します。
目前に迫ったロシア・カザンでの世界水泳選手権出場が絶望的となっただけでなく、事態はかなり深刻であることを、中学・高校と6年間見てきた彼の顔色で直感しました。
このひと月前には、世界王者のロクテをおさえ欧州グランプリの個人メドレーで2冠を達成。世界選手権での優勝が期待されていた中での、思いもかけない自転車事故。
(なんと言葉をかけたら良いのか、そもそもこんな時に言葉などかけられたところで煩わしいだけかもしれない…)
思い悩みましたが、それでもとりあえず、「君なら必ず全てを力と幸運に変えられる。とにかくゆっくり休むことが天の意志だと思う」という趣旨のメールを送りました。
すると、いつもと変わらぬクイックレスポンスで、しっかりとした律儀なメールが返ってきました。
(こんな状況でも、萩野は返信するんだ…)
“骨は折っても、心は折れない”、萩野選手の真骨頂である「芯の強さ」をあらためて痛感させられた出来事でした。
しかしその後も回復は思うように進まず、私が知るだけでも3度医師を変え、4人目の医師のもとでやっと希望の光が見えてきたという話が、昨年秋頃やっと関係者から聞こえてくるといった状況でした。
あの日から9か月。長い々々トンネルを抜けて萩野選手は、タイム以上に人間として大きな成長を果たしました。
3月のスペイン高地合宿では、同じ平井伯昌コーチの指導を受ける北島康介選手と3週間、同室で生活をともにし、日本競泳界のエースとして身近で多くのことを学ぶ幸運にも恵まれました。
残念ながら今大会が現役ラストレースとなった北島選手ですが、その雄姿を萩野選手も観客席で見守り続けました。
最 後まで観客からの大歓声に包まれ会場を後にした北島選手の姿に、「(大切なのは)人間性だと思う。みんなに応援してもらえるようにならないといけない」と語り、また、「北島さんの分まで、これからの日本競泳を全力で引っ張っていく。(日本が)ここまで強くなったというのを(世界に)見せたい」と、後継者として力強く語りました。
「試練とは、天からの“恩寵”である。」
その言葉を体現するように、苦難もアクシデントもすべてを前進し向上する力に変え、確実に自分自身を乗り越えて、一人の人間として大きく成長した萩野選手。
リオの地で、センターポールに掲げられる日の丸を何度見られるか、君が代を何度聞けるか、萩野選手がどれほど世界記録を塗り替えられるのか―今から胸躍る2016年春です。
畑 恵