名探偵シャーロク・ホームズには友達がない。シャーロク自身も、「自分には友達がいない」と何の心の痛みを感じることなくいう。シャーロクの兄マイクロフトも相棒の捜査官も同じように、「彼には友達と呼べる人間はいない」と認める。
▲友達がいない名探偵シャーロク・ホームズ(米CBS放送の「エレメンタリ―」から)
シャーロックは言う。「誤解しないでくれ。自分は優しい人間ではない。冷徹な人間だ。私が優しい人間に変るなんて思わないでくれたまえ」というと、ワトソンは素早く、「あなたは既に変わってきた」と優しく指摘する。シャーロックは少々驚いたような表情をワトソンに向けながら、「君との関係ではそのようになるように努力しているだけだ」と弁明しながら、ワトソンの指摘に少し驚く。
米CBS放送のシャーロック・ホームズ(ジョニー・リー・ミラー主演)の「エレメンタリ―」(Elementary)の中で最も好きなシーンの一つだ。友達がいないことがどれだけ辛いかを考えると、友達が独りもいないと自他とともに認める人間の存在に新鮮な驚きを感じるからだ。
ファイスブックに数百人の友達がいると自慢する若者が増えてきたが、友達が誰もいないと公言できるシャーロックの強靭な精神力に脱帽せざるを得ないのだ。
シャーロック・ホームズの周囲には実際、友達と呼べるような人間はいる。ニューヨーク警察の捜査官、身近には元外科医のワトソンだ。しかし、シャーロックは、「彼らは友達ではない。ワトソンは僕のパートナーだ。決して友達ではない」と説明する。ワトソンはシャーロックにとって事件の解決で助け合う相棒であって、友達ではないという。
シャーロック自身は友達がどのような人間かを説明していない。ワトソンが友達ではなく、パートナーに過ぎないとすれば、どのような人間がシャーロックの友達と呼べるのだろうか。
誰にも友達が必要だ。独りで歩む人生は淋しい。苦難を理解してくれる真の友達がいれば、どれだけ救いとなるだろうか。その一方、「困った時の友こそ真の友」(friend in need is a friend indeed)という諺があるが、真の友達を持つことは現代社会では贅沢な願望となってきた感がする。その場、その場の駆け引きと、利益のやり取りで理解しあっても、人間として相互理解し合う友達を見つけることは難しくなった。
「自分には友達がいない」というシャーロックの台詞は、飛び抜けた知性と強靭な意思力を持つシャーロックだから言えるのかもしれないが、そのシャーロックの横顔に時として寂しさがにじみ出てくるのはどうしてだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年4月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。