最高裁、ハンセン病謝罪について思うこと

4月25日、最高裁は調査報告書を発表し、最高裁が1948年から25年間に渡り、ハンセン病患者が被告になった裁判について裁判所で行わず、「特別法廷」と称し、隔離施設で行っていたことについて正式に謝罪しました。

非常に重要なニュースだとは思いますが、メディアの取り扱いを見る限り横への広がりはありませんでした。思うにハンセン病そのものが現代日本に於いてほぼ理解されていない過去の産物となっていることがあるでしょう。ハンセン病そのものは伝染病とされますが、その感染力は極めて低く、現代日本では治療方法が出来たこともあり、発症者は年間1人程度ともされていますが、1955年には1万人以上が隔離されていました。

ハンセン病がなぜ特殊な扱いを受けていたかといえば皮膚などに感染することで差別意識を産んだともいえます。

この病気を扱った代表作品が松本清張の「砂の器」であります。お読みになった方も多いと思いますが、昭和の小説として私は代表作品の一つだと感じています。ところが、この「砂の器」を2004年にTBSが中居正広氏の主演作品にして放映したドラマで観た方にはハンセン病の「ハ」の字も出てこないため、あれっと思っている方も多いでしょう。

公共性の高いテレビでハンセン病の差別意識を煽る内容はご法度であるため、その最重要部分を全く違う理由である村八分に対する報復で31人殺しをして逃亡生活を送るというシナリオに書き換えてしまっているのです。これに気が付いている人は案外少ないかもしれません。

但し、「村八分」も日本古来からの差別意識の代表格であります。村八分という言葉も今や知らない人が多いでしょう。いわゆる部落など共同体生活に於いてペナルティを課せられた人間およびその家族が虐げられた生活を強いられるというものです。但し、二分である火事と葬式は共同体は面倒を見るというものですが、その二分についての解釈もいろいろあります。火事は自分の家に延焼しては困ること、葬式は二度と会わないから、との意味合いだとする説明もあり、結局「村十分」なのかな、という気もいたします。

ではハンセン病患者にしろ村八分にしろ差別意識はなぜ起きているのか、と考えると学術的には奈良時代からあった「穢れ」の思想であり、日本だけではなく、世界どこにでも似たような差別はある、とされています。その差別意識の代表格である士農工商とその下に続くエタ、非人については明治時代に入り国がその意識を止めようと努力しましたが、結局、昭和の中ごろまでかなり明白に存在していましたし、部落解放運動などは今でも時折取りざたされています。

ところがそれがある程度沈静化してきた今日になって代わってできたのが学校や会社でのイジメであります。ハラスメントも一種の差別意識ですし、池井戸潤の「七つの会議」に出てくる題材では社内での差別扱いを根底としたものもあります。つまり、社会に於いて人との差別意識はその題材は変われども常に存在し続けているのであります。

また、差別に於いて重要なもう一つの視点はそれが回復可能なのか、「宿命」なのか、という点でありましょう。宿命とは「もって生まれたもの」であり、穢れとはその代々を含め、全てを否定する恐ろしい発想であります。これは西欧で言う「いけにえ」の発想とも近いような気がします。

人はなぜ、差別を行うのか、といえば平等社会の中における不平等が生んだ歪みなのだろうと考えています。つまり、社会制度やコンプライアンスや法律がどれだけ平等を訴えても実社会ではもっとギトギトしたものが横たわり、上流と下流が混在する結果を作ります。その際、下流の人たちが自分たちより更に下流で常に「踏み台」になる代替を求めている意識が根底にあるのではないでしょうか?逆説的な言い方になりますがこの宿命的差別対象がないと下流の人たちが救われないリスクを精神構造の中で育ませてしまうのでしょうか?

ここまで書いてくると自分でも恐ろしくなってきたのでそろそろ止めることにしますが、一つだけ。江戸時代に差別意識が作り出された一つの背景は確か、朝廷と幕府の闘いの結果であったはずです。多くの差別的扱いを受けた人はもともと朝廷に於いて天皇に遣えて仕事を頂戴していた人たちが江戸幕府の時代になり、差別的扱いの対象にした背景があったと以前、読んだことがあります。つまり、差別意識は政治的背景があって人為的に作り出されているとも言えるのでしょう。

最高裁が謝罪した特別法廷についてもその差別意識をもって被告を被告と判断しやすい環境に陥れた政治的配慮があり、判決ありきになりやすい状況を作り出していたとすれば長きに渡り裁判所としての独立性と中立性を維持できていなかったことを認めたともいえます。これを機に裁判所の中立性という問題提起につながればよいと思っています。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 4月27日付より