「日本の商社」へのエール

松本 徹三

前回に引き続き、「商社論」にもう一度だけ付き合ってください。

前回の記事では、現役の幹部の方々から見れば荒唐無稽と思えるような生意気な事を書かせて頂きましたが、精神論の部分だけでも汲んで頂ければ有難いと思っています。

最近、三井物産出身の籾井NHK会長が色々と批判を受けていますが、ああいう「夜の帝王」型の方は、昔の商社マンの一つの典型だったかもしれませんが、現在でも通用すると考えている人は恐らくもうおられないでしょう。

新しい形の商社マンは「人脈」や「腕っ節(無理を押し通す力)」に頼る人ではなく、柔軟な発想を持ち、プロ意識に徹し、それぞれの分野で「新しいビジネスのあり方」に情熱を燃やす人であってほしいと思っています。

アメーバ的な組織こそ商社のあるべき姿

アメーバ経営といえば稲盛和夫さんの専売特許だが、「会社を一つの枠に嵌めず、チャンスのあるところには次々に手を伸ばし、自由奔放に組織を増殖させていく」という「アメーバ的な生き方」は、まさに日本の総合商社の将来像でもあるべきだと思う。

今から25年以上も前の昔話で恐縮だが、私がアメリカから帰ったばかりの40歳代の後半の頃、モルガンスタンレイ社から依頼されて、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア ホテルで300人もの聴衆の前で話をする機会があった。日本の会社への投資に興味のある機関投資家向けのセミナーで、京セラとか三和銀行とか藤沢薬品といった錚々たる大会社から、経営トップと大勢のスタッフが出張してきていて、それぞれにプレゼンテーションをしていたと記憶する。

そんな中で私はただ一人での参加。求められたのは「日本の総合商社とマルチメディア」というテーマで話す事だった。というのも、ちょうどその頃、通信と放送とコンピューターが融合するという「マルチメディア」という言葉が流行語になっていたが、その折も折、伊藤忠が東芝と共にタイムワーナー社に相当大きな金額を投資したという事があったので、私に依頼が来たのだと思う。

私は「さて何をどう話したものか」と色々考えあぐねていたが、その時たまたま、アメリカの投資会社が日本の総合商社に焦点を絞って解説したレポートを入手した。この内容が大変酷いもので、表紙にはヨレヨレになった恐竜の絵が描かれており、「巨大になりすぎて機動性を失った恐竜さながらの『総合商社』と呼ばれる日本独特の企業体は、最早死ぬしかない」という趣旨で貫かれたレポートだった。しかし、ここで私は「よし、これで行こう」と膝を打った。

壇上に上がると、私は先ずこのレポートを頭上に掲げ、ざっくりとその内容を紹介した上で、「これ程大きな勘違いも珍しい。私は現実にその組織の中にいるのでよく分かっているが、実際の総合商社は、全産業分野でそれぞれに活躍している数百を超える『課』から成り立っており、そのそれぞれが小さな会社のようなものだ」と切り出した。そして、アメーバという名こそ使わなかったが、「このそれぞれの小さな組織は、恐竜とは正反対で、毎日世界の技術と市場の流れに敏感に反応し、常時その姿を変えて進化し続けている」と続けた。

「レガシーを何も持たぬ商社こそがマルチメディアの騎手となる」と強弁

マルチメディアについては、私はこう言った。

「マルチメディアは要するに、通信と放送とコンピューター技術の融合だが、ここから何かを生み出していくのは、そんなに容易ではないと思っている。通信業界も放送業界も、どんな国に行っても、かなり閉ざされた世界で、自分達のこれまでのやり方がベストだと思っている。だから、新しいコンセプトの導入には相当の抵抗があるだろう。」

「自慢ではないが、我々総合商社は何の技術も持っておらず、通信業界にも放送業界にも殆どプレゼンスがない。だからこそ、我々はこの新しい世界でリーダーになれると思っているのだ。」

更に私はこう続けた。

「商社の強みは ”Demand Pull”、徹底的に最終ユーザーの立場に立つことだ。我々は何の技術も所有していないが、技術はユーザーが求めるものを実現する為の道具にすぎない。技術や製品が先にあり、これを何とか売りつけようとする姿勢は間違っている。」

「私が勤めている会社(伊藤忠)は、繊維関連のビジネスに特に強いが、この分野で我々が果たしている役割は暗示的だ。消費者は店頭で気に入った商品を選ぶが、それを作る為には、綿花や羊毛、化学繊維などの生産、紡績、織布(又はニット)、染色、プリント、加工、縫製、等々を行う多くの会社が必要であり、それ以上にデザイナーが大きな役割を果たしている。我々はこの様なあらゆるプレイヤーと深い関係を持ち、最終商品の企画・開発と流通をコーディネートしている。これは、マルチメディア・サービスの作成と提供のプロセスと、大変似ていると思っている。」

このプレゼンテーションはかなり好意的に受け止められた様で、実際にその後、伊藤忠株の外人持ち株比率はかなり上昇した。

再び巡ってきたチャンス

今にして思えば、当時の「マルチメディア狂想曲」は大変底の浅いものだったと思う。全てがIP通信(放送も通信の一形態)へと収斂していくという認識もまだなかったし、かくも多種多様なサービスがインターネット上に花開くなどという予測は欠片もなかった。

現在は全く様相が異なる。

1)IoE(至る所にある無数のDeviceが無線で繋がれている世界)

2)CloudとそれがサポートするBig Data(集合知)を利用する諸サービス

3)AI及びRobotics

を三種の神器として、これらの結合が幾何学級数的に市場の変革をもたらす近未来の世界は、総毛立つほどに刺激に満ちている。

しかも、この世界では “Winner takes all”という言葉がある様に、「ユーザーが求めるものを、誰よりも安く供給できる仕組みを、誰よりも早く作った企業」が、市場を総取りする可能性がある。そして、一旦始まった雪だるま効果は、留まるところを知らず拡大していく。

多くの勝者と、それに数倍する敗者が生まれるだろうが、その姿を予測するのは殆ど不可能だろう。ということは、誰でもが勝者になれる可能性を持っているとも言えるわけだ。日本の商社にも、当然、挑戦権はある。