4月30日付の読売新聞社説「デジタル教科書 「紙」の補助的役割にとどめよ」には驚いた。主筆の意見を反映しているのかもしれないが、ともかく古すぎる。
社説前半では「理科で宇宙や人体の仕組みを学ぶ際、デジタル教科書を使い、写真で視覚に訴える授業を行うことを想定している。」といった例示を添えて、デジタルの価値を紹介している。しかし、後半には問題点指摘が続く。
ネットで調べると自分の頭でじっくり考える力が育成できない
文化は先人の業績の上で進歩していくのだから、ネットで調べた上で、自分でじっくり考えて新しいものを付け加えればよい。何も調べないで考えても、よほどの天才でなければ、二番煎じになる可能性が高い。ビジネスでも同様で、世の中の動きを把握しなければ、成功はおぼつかない。新聞の未来も、紙版を廃止しデジタルに専念する英米紙の動きを知らなければ拓けない。
有害情報にアクセスする事態も起こりかねない
読売新聞は子供たちの携帯電話・スマートフォン保有率を知らないらしい。内閣府の「平成27年度青少年のインターネット利用環境実態調査」によれば、小学生の33%、中学生の58%、高校生の97%がいずれかを利用している。有害情報にアクセスするのに、子供たちは、アクセス記録が保存されるデジタル教科書をわざわざ使うだろうか。
本を読む時間が減少する
たしかに紙の本を読む時間は減少する。しかし、デジタルでテキストを読む時間は増える。表示媒体ではなく中身が大切である。読売新聞が懸念するのは、実は、新聞市場の縮小ではないか。日本新聞協会の(水増しのうわさもある)統計では、2015年の新聞発行部数は4425万部で、2000年の5371万部から2割近く減少しているからだ。
デジタル教科書の音声や動画は検定しない
紙の教科書の検定周期に合わせては、古い音声・動画しか入らない。それに、検定費用も情報の増加とともにかさんでいく。紙と同じ部分だけ検定することにして、最低限の質は確保しようと考えて、なぜ悪いのだろう。
すでに新聞は高齢者の友になりつつある。問題なのは、政治家がしっかり新聞を読むことだ。その結果、読売新聞のような意見も国会で取り上げられるから、デジタル教科書も限定的な利用に止まってしまう恐れがある。
国際会議でニュージーランドにいるが、会議場は“Ministry of Business, Innovation and Employment”だった。経済社会の大きな変革に乗り遅れないように努力していることがうかがえる省名である。そして、ニュージーランドは、世界で最も熱心に教育での情報通信の利活用に取り組む国でもある。
イノベーションに対するマスメディアの無理解は、社会を間違った方向に向ける恐れがある。