サウジ:内閣改造、ナイミ石油相は交代へ

昨夜遅く、そろそろ寝ようと思っていた頃に「ナイミ、解任」とのヘッドラインが飛び込んできた。しばらくして「後任はKhalid al-Falih保健相兼サウジアラムコ会長」とのヘッドラインが流れた。解説記事が出るには少々時間がかかるだろう、いずれにせよ後任がテクノクラートだからサウジの石油政策に大きな変更はないだろうと判断し、ベッドインした。

今朝、FT、WSJ、NYT、BBCなどの関連記事を追ってみた。判明したことは、MBSが主導している国家経済改革案である ”Vision 2030” を実行に移すために大幅な内閣改造を行い、その一環としてナイミ石油相(正確には石油鉱物資源相)を辞めさせ、エネルギー・産業・鉱物資源を管轄する省庁に変革し、その長(以下、エネルギー相)としてFalihを保健相から横滑りさせたということだ。電力水力省が解体されたとか、新たに「娯楽」を担当する組織(General Commission of Entertainment)が創設された、とあるが、詳細はまだ報じられていない。

また、石油政策に大幅な変更はないとの見方で一致しているようだ。

FTは “Ali al-Naimi: shrewd technocrat with a calming voice” (May 7 2016: 8:18pm)と “Khalid al-Falih takes the helm of Saudi Arabia’s oil ministry” (May 7, 2016: 9*47pm)と題して、二人のこれまでの生涯、性格、能力、これまでの実績等を紹介するかたちで本件を 報じている。面白い記事なので、要点は次のようなものだが、ぜひ原文を読んでいただきたい。

ナイミに関しては、サウジ最初のダンマン油田の発見(1933年)直後の1935年、東部地域で生まれたナイミが羊飼いをしていた12歳のときに、アラムコ(当時はアメリカ資本)でオフィスボーイ(雑用係り)をしていた兄が死亡したため後任として入社し、非凡な才能をアメリカ人役員に見出され、レバノンおよび米国で教育を受けさせて貰い、アラムコに戻って出世階段を駆け上り、1984年にPresident、1988年にCEO、そして1995年に石油相に抜擢されたというストーリが紹介されている。

21年間も石油相を努め、予てより引退を希望していた。

なお、「王室アドバイザー」に任じられた、と他ソースは報じている。中には、今回の異動にあたりナイミの功績を一言も称えないのは「非礼」だとする識者もいるようだ。

1960年生まれのファリもまた、テキサスA&M大学に学び、サウジアラムコで社会人となり、爾来一貫して同社で働いてきた。2000年代初めに外資を導入しようとした(”ガス・イニシアチブ”と称して、原油は触らせないが天然ガス(発電用燃料として)の開発生産をスーパーメジャーに任せようとした。結果は、条件が折り合わず断念)ときに中心的役割を果たし、2008年にCEOに抜擢された。ながらくナイミ石油相の後任と目されていたが、昨年、サルマン国王の下で内閣改造が行われたとき、困難な保健相に任命された。

かつて「コストの安い国が生産を最大限に行い、シェールなどのコストの高い原油は、コストの安い原油ではまかなえなくなった追加需要に対応すべきだ」と発言しており、ナイミのシェア拡大政策(もちろん、裏には王室がいるのだが)を支持していた。

MBSのclose advisorであり、石油政策に関しては世界との対話者(interlocutor)となるファリは、”Vision 2030” を実行に移すにあたり先陣を切る役割を担うことになる。石油依存体質からの脱却を、サウジアラムコの部分的民営化を実現しSWFを通じて経済の多様化を目指すという極めて困難な任務だ。

さて、MBSの “Vision 2030” の第一歩は踏み出された。次は5月末あるいは6月初めに発表される予定の「詳細実行案」がどのようなものになるか、だ。アラムコ部分民営化については、ファリ・エネルギー相が慎重なコメントをしていたが(弊ブログ174「The Economist: 大きな上場」参照)、欧米コンサルの「作文」にサウジ人テクノクラートがどのような肉付けをするのか、腕の見せどころだが、果たして有能なテクノクラートの質・量は十分なのだろうか。

それにしても「娯楽」担当新組織とは、なにを、どうする役割なのだろうか。超保守的な宗教界が認めるようなものになるのだろうか。

まだまだ厚いカーテンの向こう側が気になるなぁ。


編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年5月8日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。