「追悼」「慰霊」とは何か

オバマ米大統領は今月26、27日の2日間、三重県伊勢志摩で開かれる主要国首脳会議(G7)に参加し、その後、太平洋戦争時の被爆地広島市を訪れる。米国最高指導者が原爆被爆地を訪れ、犠牲者を慰霊することには大きな意味がある。

一国の最高指導者が大戦時の相手国を訪れ、犠牲者を追悼する行為はきわめて政治的な行為であることは否定できない。だから、様々な議論を呼ぶだろう。原爆投下した米国側の戦争犯罪問題、核兵器使用が戦争を早期終結させたという米国側の主張などが議論を呼ぶだろう。それゆえに、日本側は米大統領の追悼行為があまりにも政治化されないように、極力努力すべきだ。

十分予想されたことだが、オバマ大統領の広島訪問が発表されると、中国と韓国両国から「日本の戦争責任を忘れさせる危険がある」として懸念や遺憾の声が聞かれる。ここでは韓国側の反応について考えてみたい。

はっきり言えば、当方は韓国側の反応に大きな懸念を持つ。戦争被害者は韓国民族であり、日本人は加害者だという画一的な受け取り方にとらわれ過ぎている限り、韓国国民は「追悼」「慰霊」という行為を正しく理解できないのではないかと憂慮するからだ。

政治家の追悼、慰霊はその国を代表としたものだが、基本的には極めて個人的な行為だ。犠牲者への心からの追悼であり、慰霊だ。それに対し、第3者が「あなたの慰霊はよくない」とか、極端になれば、「追悼すべきではない」と批判できるだろうか。

2014年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」が沈没し、約300人が犠牲となるという大事故が起きた時、韓国内では救援活動よりも船舶会社批判、ひいては政府批判でもちきりとなった。事故1年目の翌年4月、朴槿恵大統領は死者、行方不明者の前に献花と焼香をするために事故現場の埠頭を訪れたが、遺族関係者から焼香場を閉鎖され、焼香すらできずに戻っていったことがあった。韓国メディアによれば、死者や行方不明者の関係者から「セウォル号を早く引き揚げろ」といった叫びが事故現場から去る大統領の背中に向かって投げつけられたという(当時、李完九首相も同日、沈没事故で多くの犠牲者が出た学校近くの合同焼香所を訪れ、焼香しようとしたが、遺族関係者から拒否されている(「焼香を拒む韓国人の“病んだ情”」2015年4月18日参考)。

韓国は靖国神社参拝問題でも「日本は戦争犯罪者を祭っている」として日本政府代表の神社参拝に強く反対してきた。政治家の参拝に政治色が出てくることは否定できないが、繰り返すが、「参拝」という行為自体、極めて個人的な心の世界の表現だ。それを批判し、「参拝はよくない」と強く抵抗することは明らかに干渉だ。国内でその国の最高指導者が参拝することに、外国からああだ、こうだといえるだろうか。

韓国人は情が深い民族だ。他国に支配され、苦しい時代を長く経験した民族だけに悲しみが溜まっている。その悲しい情が暴発することだってあるだろう。しかし、泣いている自分の傍に、同じように悲しみを味わってきた人がいることを忘れてしまっているのではないか、といった思いが沸く。

韓民族は追悼、慰霊という行為がどのようなものかをもう一度冷静に考える必要があるだろう。追悼、慰霊の権利といえば、大げさに響くが、追悼、慰霊は人間の基本的行為に入る内容だ。オバマ大統領は広島訪問を決めた理由として「第2次世界大戦中に命を落としたすべての人を追悼するため」と説明したという(読売新聞電子版)。

当方は昨年のコラムでも書いたが、「韓民族は他者の悲しみへの連帯を再発見しなければならない。他者の悲しみを自身のそれと同じように感じることができれば、自身の悲しみは自然と癒されていく」と考えている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。