なぜ「行政府の長」は立法府に口を出せないのか

池田 信夫


安倍首相が国会で「私は立法府の長だから議会運営には口を出せない」と繰り返したことが話題になっている。先月も同じ失言をして、議場で指摘されるとすぐ「行政府の長」と言い直したので、これは単なる言い間違いだが、かなり大きな問題を含んでいる。

たしかに首相は行政府の長であって立法府に命令する立場にはないが、日本は議院内閣制である。国会が選んだ首相が内閣を組織するのだから、両者は一体であり、内閣が法案を出して審議日程や議事内容についても発言するのが当然だ。

ところが日本国憲法では、内閣には立法権がない。憲法第41条では「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定めており、内閣が立法することはできないが、実際には法案の8割以上は内閣提出法案だ。

これは内閣には法律の発案権があるが、議決するのは国会だけだから唯一の立法機関だというきわどい解釈で正当化されているが、GHQの原案では”The Diet shall be the highest organ of state power and shall be the sole law-making authority of the State”となっており、議員立法しかないアメリカのような制度を想定している(ホワイトハウスには法案提出権はない)。

このように憲法で国会は内閣から独立しているので、行政府が立法府をコントロールする規定もない。審議日程は議院運営委員会で決め、内閣はこの決定に関与できないのだ。だから審議日程を首相が変えろという山尾氏に「議会の運営について勉強したほうがいい」と反論した首相の論旨は正しい。

こういう議会運営は、議院内閣制と矛盾している。本来はイギリスのように内閣と議会が協議して審議日程も決めるべきだが、内閣がTPPのような重要法案を優先することもできず、野党が審議拒否で会期切れにして法案を葬ることもできる。

法案提出後はどうなるかわからないので、事前審査が何重にも行なわれ、党議拘束をかけて国会による法案の修正を封じる。つまり議院内閣制にアメリカ的な「三権分立」を接ぎ木したため、形骸化して効率の悪いガラパゴス国会ができてしまったのだ。

しかしこれは単なる慣例なので、小泉内閣のように事前審査なしで郵政民営化法案を出すこともできる。首相もこれがおかしいという問題意識はあるようなので、野党が拒否権をもつ議運の運営を改め、内閣の指揮権を強めるべきだ。これは憲法改正よりはるかに容易な改革である。