不登校という“第2の待機児童問題” --- 工藤 嘉人

今年2月、保育園の入園選考に落ちた母親が書いた「日本死ね」というタイトルのブログが話題となった。待機児童問題に世間の関心が集まったことはよかったが、日本には他にも教育や子どもの福祉に関する問題がたくさんある。その1つが不登校の小中学生が教育の機会を失っていることで、これは「第2の待機児童問題」と呼べるだろう。2015年10月の保育園の待機児童数は約4万5千人だったのに対し、2014年度の不登校の小中学生は約12万3千人に上った(厚労省調査文科省調査)。

不登校児は学校に籍を残したまま、卒業年次になると校長の裁量で形式的に卒業しているというのが現状である。こうした子どもを受け入れるフリー・スクールなどの民間団体が存在し、その約半数はNPOによって運営されている(文科省調査; NPOに関しては拙論「NPO2.0」を参照)。教育といえば、マスコミや政治の世界では歴史教科書やゆとり教育などのような問題ばかりが取り上げられ、残念ながらこうした問題が関心を呼ぶことは少ない。だが最近珍しく、政治の方で動きがあった。

以下では、最近起こった不登校問題に関する政治の動きを、時系列的に見ていきたい。まず2014年6月に、フリー・スクール等議員連盟が超党派で発足した。そして2015年5月には、同議員連盟が「多様な教育機会確保法案」の成立を目指す方針を決めた。

この法案は、個別学習計画を教育委員会が認定した場合、フリー・スクールや家庭で教育を受けた場合でも、義務教育の修了を認めるというものである。この法案に対しては、「不登校を助長するのでは」などといった反対意見が出て、提出は断念された。

さらに意外だったのが、不登校児の支援活動を行う人たちの一部からも批判が上がったことである。たとえば、「不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会ネットワーク」は、不登校になって家庭を唯一の居場所にする子供に対して教育委員会が介入するのは、家庭を「学校化」してしまうとして法案に反対している。

しかし、不登校児支援を推進する動きはその後も続いた。2015年12月には、文部科学省の中央教育審議会が、いじめや不登校、貧困など教員だけでは対応しきれない課題に、スクール・カウンセラーやスクール・ソーシャル・ワーカーなどの専門家と協力して、「チーム学校」として取り組む仕組みの導入を求める答申案をまとめた。

さらに、今年1月の安倍首相の施政方針演説では、「いじめや発達障害など様々な事情で、不登校となっている子どもたちも、自信を持って学んでいける環境を整えます。フリースクールの子どもたちへの支援に初めて踏み込みます」と述べられた。そして今月10日、一度提出を見送られた法案が、修正を経て提出された。修正案では、国や地方自治体は不登校児を支援する必要があるとされているものの、フリー・スクールなどでの学習を義務教育と見なす規定はなくなった。

しかし、この修正案も結局は今国会中の採決は見送られることになった。参議院の民進党が一転して、全会一致での法案成立を目指すべきだと主張したためである。夏の参議院選をにらみ、野党共闘の足並みをそろえるため、共産・社民両党が賛成しない同法案の成立は先送りした方が得策だと判断したためだという(朝日新聞デジタル)。不登校問題に対して政治がアクションを起こそうとしたことはよかったが、結局は政争の具となってしまった。しかし、これは政治だけの問題ではなく、そもそも不登校問題に関心を持つ人が少なく、また、「子供のわがままだ」、「親が悪い」などといった冷酷な自己責任論もいまだにはびこっている。

不登校児を減らす取り組みも一定程度必要だろう。しかし、これほど人々の生き方が多様化している社会において、周りと同じように学校にいけない子供が一定数いるのは自然なことである。大人は自由に多様な生き方をしているにもかかわらず、子どもには画一的な生き方を求めるというのは身勝手である。

したがって、不登校になっても十分な教育が受けられる環境や制度を整えなければならない。もうこれ以上、「待機児童」を増やしてはならないのである。

工藤 嘉人

同志社大学大学院法学研究科博士後期課程
ブログ:http://blog.livedoor.jp/yoshito_kudo
Twitter:@Yoshito_Kudo
執筆記事:「NPO2.0の時代」(『アゴラ』2016年4月1日)

(画像はPAKUTASO、アゴラ編集部)