バンコク勤務時代、心してタイ語の勉強を始めた。テヘラン勤務時代に、テヘラン空港で赴任到着時の事件があり、ペルシャ語学習を断念したことでもあり、今度こそは身に付けるぞと、同僚たちに宣言し、協力を依頼して始めた。
一人の先生(女性、40歳前後)がモスレム(イスラム教徒)だった。聞けば、その昔にマレーシアとの国境付近から強制移住させられたモスレム・タイ人が、バンコク東部には今でもたくさん居住しているのだとか。
その先生があるとき嬉しそうに「来月からしばらくお休みをいただきます。ハジ(大巡礼)に行くから」という。モスレムは全員、健常者である限り、一生に一度はメッカに巡礼する義務がある、いろいろな理由で行けない親族のためにも行かなくっちゃ、と屈託のない笑顔を浮かべていた。
一ヶ月ほどかかるハジは、手配をしている団体へ払い込む参加料金だけで数十万円になる。数万円にも満たない月収のタイ語教師にとっては大変な負担だ。しかもバンコクでは要求されない、厳しい戒律が待っている。たとえば真夏であっても、ヘジャブ(ペルシャ語)というスカーフで頭髪を隠し、チャドルと呼ばれる足首までをカバーする真っ黒なコートで全身を隠さなければならない。
難儀なことだ。
でも、モスレムにとっては、崇高な宗教的行為なのだ。
そのハジにイランのシーア派モスレムは、今年は参加できないことになった。先週、ジェッダで行われていたサウジとの2日間の協議が決裂したのだ。1988年から90年までの3年間のボイコット以来だ。
FTが ”Iran boycott Haji as anger with Saudis grows” (May 30, 2016 5:57pm)と報じている。特に興味深いのは、サウジが新たに要求してきた次のような事項をイラン側が拒絶したために決裂した、という点だろう。
・ビザは第三国で発給する。
・イランの航空機の入国は認めない。
・巡礼者がイラン国旗を掲げることを禁止する。
・イラン人巡礼者には身分証明書としてリストバンドを身につけてもらう。
・いかなる政治的集会も禁止。
両国はともに、協議決裂は相手方の責任だ、と非難しあっているが、今年初めから断交状態が続いている両国にとって、純粋に宗教的行事であるべきハジもまた、重要な「政治」の一つとして取り扱わざるを得ないのだろう。地域の覇権争いそのものだ。
とすれば、6月2日(目)に予定されているOPEC総会においても、石油が政治的に取り扱われるのは間違いがない。表面的には、価格は回復している、需要は順調に伸びている、2014年11月末の減産拒否の決定は正しかった、リバランスは進んでいる、年末にはもっと明るい顔で集まれるだろう、今回はガボンの再加入を認めるという議決事項がある・・・として、しゃんしゃんで終わるのだろう。だが、背後にはサウジとイランの政治的対立が激化しているという事実が粛然として残っている。
イランでは、保守派の巻き返しが始まっているとのニュースが流れている。ロウハニ大統領の外交政策は方向転換を余儀なくされるのだろうか。
サウジでは、MBSが主導する「ビジョン 2030」の道程表が近々示されるはずだが、超保守的な宗教界や、スデイリセブン以外の王族たちが許容しうる内容に収まるのだろうか。
ベネズエラでは、昨年末の総選挙でイエローカードを突きつけられたマドゥロ大統領派が必死の生き残り策を強権的に追求している。国家財政はとっくに破綻しているが、大爆発はいつ起こるのだろうか。
ナイジェリアでもブラジルでも、問題は悪化する一方だ。
リビア情勢もまったく明るさが見えない。
どうやら暑い夏が待っているようだ。
編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年5月31日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。