欧州連合(EU)からの離脱の是非を問う英国の国民投票を、今、世界が固唾を呑んで見守っています。
英国が離脱した場合、ポンドやユーロの下落など金融市場の混乱を引き金にその影響は計り知れず、グローバル経済に大きな衝撃を与える可能性があるからです。既にポンドは今年2月に7年ぶりの安値を付けた後、値動きが荒くなり、ユーロも大きく値を下げる一方で円高が進行、日本の株安に拍車をかけています。
日本人は概して、欧州のことに関心を払いませんが、英国のEU離脱は決して対岸の火事ではありません。EU離脱による英国の不況・崩壊の危険性は、EUの不況・崩壊を招きかねず、その危機はやがて世界的大恐慌と世界秩序崩壊へとドミノ倒しのように拡大して行くリスクを孕んでいるのです。
国民投票でEU離脱が決まれば、英国は欧州の金融センターとしての地位を失墜し、海外マネーを引き寄せる力を失い、ポンドは急落するでしょう。そうなれば経済活力の低下、経常赤字の拡大、金融部門の弱体化などに対する懸念が強まり、英国の国債や銀行の格付けが下がり資金調達コストが上昇します。EUの拠点として支店を開設している企業も撤退し、人材流出が進めばロンドンの地価は暴落、金融システムそのものが破綻の危機に直面するかもしれません。
英国では、220万人が金融業に従事し、国内総生産(GDP)に占める割合は10%を超えると言われています。EU離脱は深刻な失業率の悪化を英国にもたらし、経済の空洞化は決定的となります。
さらに、残留派が多数を占めるスコットランドでは、EU離脱が決まれば英国からの独立を問う住民投票の再実施を求める機運が高まり、英国自体が分裂の危機に晒されることになるでしょう。
しかし、それだけ大きな危機を招く危険性があるにもかかわらず、6月23日の投票日を一週間後に控えた各種世論調査で、離脱派の支持率は残留派を上回りました。
離脱による経済危機について警鐘を鳴らす英「フィナンシャル・タイムズ(FT)」による世論調査でも、離脱派が47%、残留派が44%と、それまでの支持率が逆転。一方、英国最大の発行部数を持つ大衆紙「サン」は、14日付の一面で「英国を信じよう」と離脱支持を表明しました。
離脱派の原動力は、移民やエスタブリッシュ、あるいは知識人に対する怒りや反発。そして、EUからの主権を奪還し古き良き大英帝国を復権しようというロマンです。その主張の多くは論理性や具体性に欠けるものですが、「移民を制限して、EUから主権を取り戻せば英国は繁栄する」という分かり易い訴えは、大衆の心に響き支持率を伸ばしています。
一方、残留派は早い段階から離脱は不況を招くとし、経済損失を前面に訴える「プロジェクト・フィアー(恐怖作戦)」を展開してきました。しかし、その手法が「恐怖をあおるばかりで残留のメリットが見えない」と不興を買っています。
正確で客観的なデータを示し論理に“知”に訴えるより、杜撰なデータで論理的な破綻があっても、とにかく勢いよく分かりやすく“情”に訴えた方が有利といういわゆる「トランプ現象」が、英国でも顕在化しているという訳です。
実際、残留派が訴えるようにEU離脱で経済的なダメージを負うのは主に富裕層であり、むしろ労働者層にとって喫緊の課題は、自分たちの雇用を脅かし、自分たちの税金である社会保障費を食いつぶし、自分たちの文化を喪失させ治安も悪化させかねない移民や難民の流入をとにかく制限してくれということに尽きるのでしょう。
社会保障に手厚い英国は移民や難民にとって魅力的な国です。正式な手続きを踏んで難民として認定されれば、福祉手当が支給され住居が与えられ、無料で医療施設が利用できます。そうなれば、英国民が負担する社会保障費は跳ね上がり税負担は増加しますが、EU加盟国には難民の受け入れを拒否できないという法律があります。移民についても、特別な理由がない限り拒否はできません。ならばいっそのこと、とりあえずEUを離脱して移民や難民の流入を食い止めようとなるわけです。
EU残留を主導しているキャメロン首相も、移民・難民問題に関しては規制をかけられるよう、これまでEUに対し働きかけを行ってきました。今年2月には英国の要求を突き付けたEU改革案で合意を取り付けるなど、一定の成果を出してはいるものの、離脱派の勢いを抑え込むには至りませんでした。
そうした中、明らかになったパナマ文書。キャメロン首相の親族が租税回避した疑いが露見することにより、反エスタブリッシュ(支配階級)の動きはヒートアップし、EU離脱派を勢いづかせることとなりました。
こうした反移民、反EU、反エスタブリッシュの流れは、極右的なポピュリスト(大衆迎合主義者)たちを政治の表舞台に押し上げてしまいました。今や離脱派を代表する政治家としてキャメロン首相の向こうを張るのは、ポピュリズム政党である英国独立党のファラージュ党首です。
このように社会情勢が急速に変容する中、遂に引き起こされたのが、EU残留を訴えていた国会議員の殺害事件です。労働党の議員ジョー・コックス氏は、国民投票をめぐる集会の準備中に銃で撃たれた上、刃物で刺され死亡しました。目撃者によると、犯人は極右団体の名称である「ブリテン・ファースト(英国第一)」と叫んだそうです。ちなみに、「ブリテン・ファースト」の幹部は、同団体の関与を否定し、今回の事件を非難しています。
いずれにしても労働党議員の若きホープであり、二児の母であったコックス議員の命を奪ったのは、民主主義や人権、理性や論理を否定し、自分とは異なる価値観を暴力によって封殺しようとする、ネオナチに傾倒した国粋主義者であったことは間違いありません。
英国の国民投票に関し私たちができることは、ただ祈るのみですが、多様な価値観を認め、寛容を尊び、理性を失わず、暴力には決して屈しない。その姿勢だけは一人の人間として、命を賭して貫いて行きたいと思います。
畑 恵