資本主義は不可能か

ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性: 世界システムの思想史

日本が直面している危機は、トランプ騒動のアメリカやEU離脱にゆれるイギリスと通じる面がある。それを予言したのは、ローザ・ルクセンブルクが100年前に書いた『資本蓄積論』だった――といっても信じてもらえないだろう。

しかし今ではすっかり忘れられたこの大著は、私も『資本主義の正体』で紹介したように、ケインズ理論の先駆であるとともに、グローバル資本主義のゆくえを論じてウォーラーステインにも影響を与えた。

彼女の理論のコアになっている再生産表式は混乱しているが、その基本的な主張は資本主義の本質を見抜いている。それは資本主義はマルクスが本源的蓄積と呼んだ暴力によって生まれたのであり、植民地から搾取した富がその源泉だった、という洞察である。そしてローザは、資本主義世界経済は絶えざる本源的蓄積で維持されているのだという。

それは新古典派的にいうと先進国と新興国の国際分業だが、これは新興国の安い労働力を使って先進国で高く売ってレントを取る不等価交換であり、新興国が自立するとそれは等価交換に近づく。具体的には、中国製の安い工業製品が日本製品を駆逐し、アラブの移民が欧米に流入して単純労働者の職を奪う。

このグローバルな資本蓄積は、全世界が一体になってレントが消失するまで続く。それは遠い先のことだが、先進国ではレントが失われ、ゼロ成長になり、ついにはマイナス金利が生じる。それはローザの指摘した世界資本主義の限界が、姿を見せ始めたのかもしれない。

ここでは資本蓄積はソロー的な定常状態に達し、労働人口は減り始めたので、成長の源泉は生産性の向上しかない。その一つの源泉はフェルプスのいうイノベーションだが、もっと重要なのは人のグローバリゼーションである。

これは現代世界で問題になっている貧困や格差の問題を解決する上でも有効だ。それを大規模に実行しているのがイスラム難民であり、彼らにはもともと国家という概念はない。しかしトランプに代表される人々は既得権を守るため、彼らを排除しようとする。それは近世の宗教戦争ほど血なまぐさい争いにはならないだろうが、規模は全世界に及ぶ。

そしてマルクスが『共産党宣言』で予告したように「ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩し、民族的な伝統産業は破壊され、それらの産業は新しい産業に駆逐される」だろう。これまで搾取されてきた途上国が豊かになると同時に、彼らから奪った富で繁栄してきた先進国は平均レベルに引きずり下ろされ、今世紀末には世界全体の成長率は1%程度に落ちるだろう。

それは「資本主義の不可能性」を示すものではなく、グローバルな経済システムとしては資本主義しかないことを示すが、先進国では成長は不可能になるかもしれない。「主権国家」というフィクションも維持できないだろう。いま世界をおおう長期停滞やマイナス金利や難民問題は、マクロ経済学よりもマルクスやローザの目でみたほうがわかりやすい。