世界的にイスラムへの恐怖が広がっているが、本書はあえてイスラム以前のオリエントの歴史から説き起こす。古代オリエントで栄えたササン朝ペルシャは、多様な文化がゆるやかに共存する寛容の国だったが、イスラムは異教徒を許さない不寛容と軍事力でペルシャを滅ぼし、アラブを統合した。
それでもオスマン帝国は多くの部族の共存を許していたが、18世紀以降、西欧やロシアが帝国を蚕食し始め、第1次世界大戦で分割する。このとき彼らが中東を分割したサイクス=ピコ協定が、今も中東の紛争の原因になっている。そこに西洋諸国の持ち込んだナショナリズムが、イスラムになかった国境をつくって、問題をさらに悪化させた。
西洋でも、寛容が定着したのは長い宗教戦争の後だった。表現の自由とは何よりも信教の自由であり、政教分離は異教徒を殺さないという寛容のルールだった。しかしイスラムでは律法の正統性は神によって保証されているので、政教分離も信教の自由もありえない(ただし征服した民族に改宗を強要はしない)。
このようなイスラムの不寛容は、400年ぐらい前の西洋の宗教戦争と同じで、和解は容易ではない。EUは建て前では寛容を示すが、国内では極右勢力が排外主義を主張し、イギリスは離脱してしまった。日本語の「寛く受け容れる」という語感とは違って、toleranceとは「忍耐」であり、文化の違う人々の共存は困難だ。
宗教戦争の歴史が繰り返されるとすれば、ヨーロッパとイスラムが和解するには、あと100年はかかるだろう。それが実現しないかぎり、戦争と混乱はこれからも続き、グローバル化は終わり、EUは崩壊するかもしれない。著者はイスラム以前のオリエントの寛容による和解に希望を託すが、それがいつのことかはわからない。