君が代は試合前の歌に向かない

戦意が盛り上がらない

東京五輪組織委員会の森喜朗会長・元首相が、リオデジャネイロ五輪の選手団壮行会で、「君が代を歌えない選手は日本の代表ではない」と苦言を述べました。勘違い、場違い、それと本音が混ざっているような発言で、思わずぎょっとしました。

君が代は10世紀の古今和歌集から歌詞をとり、明治13年に曲がつけられて以降、国歌として歌われてきました。荘重、荘厳な歌で、明治36年にはドイツで行われた「世界国歌コンクール」で1位を受賞したそうです。美しく優しい歌です。曲としては第1級で、日本らしさがよく表現されている国歌だと思っています。

問題は、君が代を好かないスポーツ選手はかなり多いのではないかということです。君が代を好かないというより、スポーツの試合の前に歌うと、戦意が沸いてこないということでしょう。サッカーの世界的選手でしたか、「試合前に歌う気分ならない」とか発言していたような記憶があります。そのことはスポーツを理解するうえで大切なことです。

スポーツ選手に強制するな

サッカーを始め、スポーツの試合開始前の国歌斉唱で、まったく口を開かない選手、明らかに口だけもぐもぐの選手をよく見かけます。「君が代」の曲想からして、スポーツ選手には強制すべきではありません。新しい国歌をこれから作るのも現実的ではないですね。スポーツに向き、明るく元気のでる国民行進曲はあってもいいようには思います。

米国の国歌「星条旗」は、1812年の米英戦争における史実がもとになっています。ボルチモア港の砦を英国の攻撃から死守し、防衛に成功した様子を国歌にしました。「砲弾が赤く光を放ち、宙で炸裂する中、我々の星条旗は夜通し翻っていた。自由の地、勇者の故郷の上に」。こういう歌詞は士気が鼓舞されます。国歌であり、戦いの歌ですね。

英国の国歌「ゴッド・セイブ・クイーン」(女王陛下万歳)はどうでしょう。「神よ、我らが慈悲深き、女王陛下を守り給え。敵を蹴散らし、潰走させ・・」。これも戦いの歌でしょう。聞いていると、エネルギーの高まり覚えます。

全身に力がみなぎる欧米の国歌

「神よ、皇帝フランツを守り給え」のドイツ国歌は、音楽家ハイドンが神聖ローマ皇帝に捧げた歌で、賛美歌としても採用されています。静かな賛美歌と思うのは大間違いで、全身全霊に不思議な力がみなぎってくる歌です。欧米の国歌に比べると、君が代はいかにも沈潜と瞑想の歌ですね。戦いに打ち勝って国家を守り、築いてきた欧米との歴史の違いでしょうか。

そこに割り込んできた森・元首相が「先ほど国歌の斉唱があった。どうして選手諸君はそろって国歌を歌わないのか。口をもぐもぐでなく、大きな声を出してほしい」と、吠えました。よほど五輪会長は偉いと思っているのかしら。「神の国」発言で批判された森・元首相ですから、場をわきまえない言葉を口走ったのでしょう。

まず、勘違いから。出陣式では陸自中央音楽隊の女性士長の国歌独唱と紹介されており、選手がそろって歌わないのは当然です。次は場違い。五輪選手を送り出す壮行会は選手を叱りつける場所とは違います。本音の「国歌をちゃんとした声で歌おうではないか」は、勘違いと場違いを除けば、正しい発言です。

五輪では優勝者に限り国歌の演奏

もっともオリンピック憲章によると、開会式と閉会式では、開催国の国旗掲揚と国歌斉唱があります。参加選手の表彰式については、メダル獲得者の国の国旗掲揚と、優勝者の国の国歌演奏(つまり曲のみ)です。森氏がいった選手の国歌斉唱はありません。あるとすれば、日本開催の東京五輪の時でしょう。

大相撲の千秋楽の表彰式では、「君が代」の斉唱があります。優勝者がモンゴル人であろうと、日本古来の国技の伝統ですから、「君が代」です。国技館に静かに響きわたる「君が代」は、雰囲気にぴったりですね。

最後に「君が代」論争で、「君」は天皇を指すからよろしくないとの批判が聞かれます。「君」とは「治世の君」のことだという解釈は自然です。欧州の国歌は神、皇帝、女王陛下が主人公ですし、日本の国歌で「君」が登場するのも自然です。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年7月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。