貧困だからこそ、親が与える唯一の物は「教育」だ --- 藤井 秀昭

お金の持たないものが教育を受けられないはずはない、とされている。確かに公立の教育を受けることは可能だし、さまざまな援助制度もある。

実際、ひと月3人家族3万円生活を10年ほど送ったことがある。1日1000円だ。その中から居住費以外のすべてをまかなう。その中の教育の位置づけは半端なものではなかった。なぜなら、公立の教育は画一しているのだ。それで十分であるが、それでいいのだろうか。

たとえば、誰でも上位校の上質な教育を受けたいと思うだろう。だが、今後は推薦に入試に移行することになっている。その推薦には、なんらかしらの「売り」が必要だ。今後はただ、点の取れる生徒は上に行けない可能性があるのだ。人として教育をしなければならない。たとえば「語学」が得意で、それで将来身に立てるとする。すると、カリキュラムには英語以外そんな物はない。当然自分で賄わないといけないのだ。

やらなきゃいい、というかもしれないが、貧困であればこそ、親が与える唯一の物は「教育」なのだ。自分の足で歩める力をつける、そのために年齢に合わせ必要な教育をするのだ。家では中国語、フランス語のレッスンをつけた。時間2500円にもなる。この家庭ではあまりに負担が大きい。夕食がレッスン料に変わることは茶飯事だ。本人もその値段の重さを感じて受けてくれる。

無理やりだろうと思うのが、知らない人たちの理屈だ。仮に本人に希望があって、その時機を逃せばどうなるか。子供は才能を伸ばす時期があるのだ。「鉄は熱いうちに打て」という言葉もある。今からの時代、推薦入試は個性の時代の到来と言える。

日本の中の就職のライバルは、日本人ではなく、外国人にAI(人工知能)となる時代が迫ってきているかもしれない。そういう危機感がある。それぞれの子供が特性に合った、一つの特技は必要だ。人と同じ能力だけで、子供は幸せになるのだろうか。これからは教育に、一工夫が必要な時代が来ているように思う。「学は身を立てる」と思うのである。

そんな考えで、育てた子供は大学受験生になった。17歳で「パナケアの遺志」で推理小説家(ブイツーソリューション)になり、言葉は7か国語話せるようになっている(子供のサイトはこちら)。それが我が家の教育だ。個性全開だ。決して貧乏がハンデということではなく、教育に対する考えが大事なのだ。

自分の子供がかわいいなら、その特性に合った教育を施すべきだ。人を頼った教育は、本当にいいことなのか、わが子のことは親御さんがいちばんご存知だ。今後の時代、本当に本人に合った教育を与えることが必要に思う。

常識は「常識」と割り切った方がいい。親が考える子供の教育、日本は次の時代の主眼として文理を超えた人間と言っている。英語と同じくITをカリキュラムに入れると言っている。

教育は情報戦だ。現状を知ることが大事だと思う。

藤井 秀昭    開験塾塾長