昨日13日の
「今上陛下生前退位のご意志」
のニュースは、さすがにびっくりした。
だがすぐにもこう思った。陛下のご年齢からも不思議ではないことであるし、皇太子殿下のご年齢が、今上陛下の即位の際と、もはやならんでいる、ということもあるのだろうと。
もちろん、これは感想であるし推測に過ぎないのだが、本日14日の京都新聞でも、識者のコメントとして次の三つが載っている。
その見出しは次の通りである。
「象徴の役割 困難と判断か」 所 功 氏
「慰霊に区切りで決断か」 半藤 一利 氏
「国民とのつながり意識か」 原 武史 氏
いずれにせよ、だれにせよ、推察の範囲はすぐには越えられない。
だが、もし陛下のお考えに
「改元や即位が突然起こることによって、国民の生活が混乱することは避けられないものか」
といったものもあるのだとしたら、これはありがたいことだと思わずにはいられない。
ただ、このニュースに関しては、ご退位をいうよりもむしろご譲位というべきで、その点ではデリケートな問題もなくはないだろう。古いようだが、後水尾帝の退位譲位の場合など、徳川幕府への明確なメッセージを持っていたことがある。
しかし現代の日本では、今上両陛下のご健康ご長寿を念頭に、判断や法の改正を進めてゆけば、大過は生じないのではないかと考える。またこれが、今後にも生ずるであろう諸問題への、解決の一歩となるかもしれない。逃げるべきことではないように思う。
京都は御所、御陵、また泉涌寺を通じて皇室とのつながりは深い。そのために、しばしば御帰りがある。だが、繰り返すようになるが、まず今上両陛下のご健康ご長寿を願って、京都府も京都市も、またしばしば強いアッピールを発する京都商工会議所も、暫時は静かに見守るべきだろうと述べておきたい。
2016/07/14 若井 朝彦