写真はボランティア活動中の堂本あきよ氏
学生の「三種の神器」というものをご存知だろうか。就活の際に、企業ウケが良くなることを意図として用意されたストーリーが3つに集約されることからそのように呼ばれている。その3つとは「サークル」「アルバイト」「ボランティア」である。
しかし、問題の本質は「サークル」「アルバイト」「ボランティア」をテーマにすることではない。実際に体験していないため、内容があまりにお粗末なケースが散見するからである。しかし最近ではそれにも変化がうかがえる。
●身近なものとしての理解が必要
私自身は、ライフワークとして障害者支援活動をおこなっている。多くの人は障害者支援を非常に遠いものとして理解しているに違いない。
内閣府の平成26年度障害者雇用状況によれば日本における障害者数は、身体障害者366.3万人(人口千人当たり29人)、知的障害者54.7万人(同4人)、精神障害者320.1万人(同25人)であり、国民の6%が何らかの障害を有するとしている。
つまり、障害者政策は私たちにとって喫緊の課題であるともいえる。さらに、家族や大事な人が、病気や事故によって障害を負う可能性は常につきまとっている。
もし、家族や大事な人が何らかの障害を負った場合、その面倒は誰が見るのだろうか。障害を負えば介護が必要になる。しかしケアの方法は、要介護者の状態や、家族構成・経済状況など様々な要因で異なる。
そのためにも、障害者を取りまく環境を鳥瞰することは大切である。自分にとって身近なものとして理解しなければいけない。
そして昨今、感じているのが若い世代の関心の高さである。特別支援学級の教員を目指す者、医療や介護の会社に入社を希望する者など目的は様々だが、少なくとも私の周りでは、以前のような、お粗末な学生は減ってきているように感じている。
今回は、実際に障害者支援のボランティア活動をおこなっている、法政大学の堂本あきよ氏(以下、堂本)に、話を聞くことができた。この場で紹介をしたい。
●学生も本質的議論を求めている
堂本は、東京都の障害者支援団体・アスカ王国(橋本久美子会長・橋本龍太郎元首相夫人)が運営する活動に参加している。障害者と健常者が共同生活をしながらボランティアスピリッツを高める活動で、団体の活動は今年で35年目を迎える。
まず、堂本は「障害者に関する意識や議論は高まりつつあるが、まだ本質的とはいえない」と述べている。
「障害者支援は活動の実践をすることで身につくものです。私を含めて多くの人が中途半端な知識ではなく、きちんとした見識を身につける必要があると思います。正しい見識を身につければ障害者に対する偏見は無くなるように思います。」(堂本)
例えば、障害者の人権を尊重するとして「害」という文字を避けて平仮名で表記するケースは一般的になりつつある。東京都の多摩市が「障がい者」という表記を最初に採用し、2000年以降、各自治体を中心にその使用は広まった。
ところが、文字の表記を変えたところで本質的な差別解消や処遇改善にはつながるわけではない。また、障害をもつ人は「害」という文字をさほど問題視しているわけではない。
なお、私自身は「障がい者」という表記は使用しない。理由は、過去に、多くの障害者が権利を侵害されてきた歴史が存在すること。それらの歴史を鑑みれば言葉を平仮名にすることで本質をより分かり難くする危険性があるためである。
また、堂本は障害者支援のあり方についても「お世話をしてあげるという間違った意識が無くならない限り、障害者差別は無くならない」と述べている。
「活動の実践には、障害者との信頼関係の構築が不可欠です。しかし、『~してあげる』という誤った視点から障害者支援をおこなう人もいます。障害者支援の本質は、障害者を弱者として支援することではありません。障害者の自立を促しながら対峙しなければいまの環境が変わることもありません。」(堂本)
この考え方は非常に正しい。障害者を支援することは必要だが、支援と自立を促すことは異なるからである。
●私たちもより一層の理解促進を
ニッセイ基礎研究所の調査によれば、1人辺りの年間寄付額を算出すると、アメリカが62,237円に対して、日本が5,431円で、約11倍の開きがある。
イギリスの「Charities Aid Foundation」によれば、個人の寄付活動が最も活発な国を順位別でならべると次のとおりになる。1位.オーストラリア、2位.アイルランド、3位.カナダ、4位.ニュージーランド、5位.アメリカ。日本は85位で先進国でも最低レベルである。
1972年に米国ペンシルバニア州裁判所は「障害の如何を問わず、すべての子供はその能力に応じて教育を受ける権利を有する」(Pennsylvania Association for Retarded Children,PARC判決)と宣言している。これは、差別的な教育に対する是正を求めたものであり、教育のダンピング(教育の放棄)を招く危険性があることへの警告である。
日本におけるノーマライゼーション社会の実現には超えなければいけない壁が存在する。私自身にできることは微力かも知れないが、自らの使命を全うし成すべきことをしようと思っている。
尾藤克之
コラムニスト
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