明治天皇を訪問した米国前大統領と大隈重信の失脚

八幡 和郎

アメリカ大統領で日本を最初に訪問したのは、フォード大統領で、1974年のことだ。岸首相のときにアイゼンハワー大統領が訪日するはずが、安保改定反対闘争で流れてしまった。 

野党である左翼はもちろん、与党では鳩山・石橋に代表されるアメリカを良しと思わない右派の勢力が強くて国民を上げて歓迎するというムードではなかった。 

その後も反米ムードは強く、ようやく沖縄も返還されたのちになってやっと実現したのである。そして、その翌年には、昭和天皇の正式の訪米も実現した。正式のといったのは、1971年に昭和天皇が訪欧したときに、ニクソン大統領が経由地だったアラスカのアンカレジまで出向いて会っているからである。 

その後、カーターはサミットと大平総理の葬儀、レーガンはサミットと国賓(中曽根首相の日の出山荘を訪問)、父親の方のブッシュは、昭和天皇の大葬と国賓(京都迎賓館で倒れる)、クリントンはサミット二回に小渕首相の葬儀、そのほか2回。子供のほうのブッシュは、サミットとその他3回、オバマ大統領は、鳩山首相のとき、菅首相のとき横浜APECサミット、そのあと安倍首相になって国賓として次郎での寿司会談と、今年の訪問の4回だ。

国賓としての訪問が少ないのは、国賓だと日程が長くなるのと、日本の天皇陛下が昭和天皇の二度の訪問あと、今上陛下も1回だけなので、バランスを取っているということもある。 

そんなわけで、日米は親しい割に元首同士の交流というのが意外に少なく、しかも、新しい。太平洋戦争開戦前夜にはルーズベルト・近衛会談も模索されたのだが実現しなかった。もっとも、近衛氏は若い頃に訪米してウィルソン大統領と会談している。

しかし、大統領経験者と言うことだと、明治12年に南北戦争の英雄で、リンカーンの次の次ぎに第18代大統領だったユリシーズ・グラント氏が、退任後の世界一周旅行の途上に日本にも夫妻で立ち寄ったことがある。

グラント大統領は、在任期間中に、ワシントンで岩倉使節団を迎えており、右大臣だった岩倉具視は、ホスト役をつとめた。 

長崎に着いたあと、関西に立ち寄るつもりが、コレラの流行で取りやめ東京へやってきた。東京でも大歓迎され、日光にも足を伸ばした。グラントは、白木が基調となった日本の建築に丸木小屋のアメリカ文化と共通のものを感じたようでひどく気に入った。

アメリカ文化には二面性があり、ラスベガスに象徴されるヨーロッパ文化の文物を大きく豪華にしたものもアメリカらしい。しかし、丸太小屋やジーンズやカントリーミュージックもアメリカ人好みだ。

また、ヨーロッパでオペラ鑑賞を退屈きわまりないと途中退席した将軍は、岩倉具視が見せた能に感激し、それを永く保護することを勧めた。

そして、明治天皇や政府首脳と会談し、まことに友好的にこの若い東洋の島国のためにアドバイスをしてくれた。

「日本は軍事物資,陸軍,海軍ともに清国に勝っている。清国は日本に手も足も出ないだろう」。

「アメリカが東洋で獲得するものは、また我々が受け取ると同様の利益を東洋の人々に保障するものだけに限られるべき」

「独立や国の存立に必須でありいかなる国も手放そうとしない権利というものが清国と日本に認められないというのはあるべきでない」。 

「外国からの借金ほど、国家が避けなければならないことはない」

「国会開設は必要だが急がない方がいい。政党に力を一度与えたら後戻りできない」

などと進むべき現実的な道について適切なアドバイスをして、明治天皇自身も含めて最高指導者層に感銘を与えた。

しかし、このとばっちりで、失脚に追い込まれたのが、大隈重信である。当時、政府のトップは太政大臣三条実美、ナンバーツーが右大臣岩倉具視で、それに次のが大隈重信と伊藤博文だった。

このころ、イギリス公使のハリー・パークスは、利権と見返りの外国からの借款とか、急激な民主化を勧めていたが、その窓口だったのが大隈重信だった。

ところが、イギリスがアジアで行っている植民地主義への嫌悪感をもつグラントが借款は慎重に、国会開設や政党内閣制は、いずれやらねばならないが、準備不足のまま実行すると取り返しのかない混乱をもたらすので、地方自治から始めるなど手順をしっかり踏むようにと明治天皇と岩倉にアドバイスしたので、はしごを外された。

あわてた、パークスが会談を求めてもグラントは断固拒否した。大隈が追放され、岩倉が憲法制定の作業を伊藤博文にゆだねることになった明治14年の政変の伏線はこのグラントの訪問にあったし、大隈が開明的で岩倉や伊藤が保守的というのは何の根拠もないのである。

むしろ、伊藤は若い頃に長州からイギリスに留学し、その後も海外へ盛んに渡航していた。また、岩倉は岩倉使節団という大旅行をしたほか、子供たちを米国留学させていたので、海外事情には強かったのであるのに対して、大隈重信は海外経験はゼロで、岩倉や伊藤こそが国際感覚あふれる開明派だったのだ。

このように日本にとっては、大恩人のグラントだが、アメリカの歴代大統領のなかで汚職まみれの時代の最低クラスの大統領と言われたりします。しかし、どうも、日本でもそうなのですが、いわゆるリベラル派の大統領に高い評価が与えられるのですが、あまり客観的な評価ではないと思います、

そのあたりも少し補正しながら書いたのが、「アメリカ歴代大統領の通信簿」(祥伝社黄金文庫)であり、「日本人の知らない日米関係の正体」(SB新書)です。