慰安婦問題はサハリン訴訟から始まった

池田 信夫

慰安婦問題をめぐる日韓合意について、韓国外務省は「8月中に日本政府は10億円を支払う。慰安婦像の撤去は民間の問題だ」と語った。これでは日本が金を払うだけで、慰安婦像は撤去されない。これは韓国の「これで決着する」という約束を信じて1993年に出した河野談話と同じだ。

ここまでこじれた慰安婦問題の原点が、高木健一弁護士などの起こしたサハリン残留韓国人訴訟である。この動画で被害者の新井さんが語っているように、高木は彼らを救済すると称して日本政府に「戦後補償」を要求し、おかげで韓国人4万人の帰国交渉は長期化し、彼らは80年代までサハリンに抑留された。もちろん高木の訴訟はすべて敗訴した。

それよりも重大なのは高木を中心とする弁護団が、「慰安婦の強制連行」なるフィクションを作り上げ、その「証人」として1982年に吉田清治を法廷に出したことだ。このとき弁護団の筋書き通りに「慰安婦狩り」を証言した吉田は、その後も同じ嘘を繰り返し、それが朝日新聞などに報道されて、事実無根の「性奴隷」騒動が始まったのだ。

そもそも植民地に対して旧宗主国が謝罪や賠償をしたことはなく、1965年の日韓基本条約も5億ドルの「経済協力金」を払っただけで、韓国は「今後すべての請求権を放棄する」と明記している。この経済協力金は政府間の資金供与で使途は限定されていないので、朴槿恵政権が個人補償すべきだと考えるなら、韓国政府が自国民に対して払えばよい。

これに対して「個人の賠償請求権は日韓条約で消滅していない」というのが、高木の主張だった。彼らはサハリン訴訟で吉田清治に「慰安婦狩り」の証言をさせ、その後も彼の証言を慰安婦訴訟で根拠にして同様の要求を繰り返し、村山政権は33億円の和解金を払った。

この背景には、北朝鮮の日韓分断工作がある。1990年に金丸信と金日成との会談で「1兆円の戦後補償」の密約がかわされたが、外務省が拒否した。しかし北朝鮮は日韓の紛争をあおって補償を引き出そうとし、これに呼応して社会党や高木や福島瑞穂などは「戦後補償」の要求を続けた。そして1991年から、朝日新聞の慰安婦キャンペーンが始まったのだ。

したがって今回の曖昧な「日韓合意」で問題は解決しない。「最終的かつ不可逆的に」解決する条件は、韓国が「強制連行」の嘘を認め、慰安婦像をすべて撤去させることだ。それなしで日本政府は1円も補償金を出してはならない。