ソフトバンクのARM買収

北尾 吉孝

ソフトバンクが英国の会社を大切にしてくれることに(メイ氏は)非常に感謝していた――孫正義さんは今週月曜日に訪英され、テリーザ・メイ英首相との会談後、当該国の「歓迎」ぶりをこう話されたようです。

その一週間前「ソフトバンク、約3.3兆円で半導体設計大手の英ARMを買収」との報道に触れた時、私がぱっと思い出したのはキングストンテクノロジーを15億ドルで同社の80%買収した20年前の案件でした。

95年CFOとして私がソフトバンクに入社して以降、ジフデービスやコムデックス等々、孫さんが買いたいと言われた沢山のネット企業を次々に買収してきました。その一つが上記のパソコン用の半導体メモリモジュールの会社で、ジョン・トゥさんが経営されていたキングストンテクノロジーです。

「半導体には好不況が必ずあるのでは?」と言われていた当時、孫さんは「需要が落ちようが利益幅を維持しながら、今迄もずっと推移してきている」とか「DRAM価格が下がっても、Kingstonの利益は増加しており、寧ろ追い風となっている」とかと説明されていて、私もその意に沿う形でプレゼンテーションの資料を作った覚えがあります。

そして今回「世界のスマホの95%以上に内蔵される半導体」を設計する最大手、ARMの買収に際し孫さんは次の通りコメントされています――今回の投資の目的は「IoT(モノのインターネット)」がもたらす非常に重要なチャンスをつかむことにあり、ARMは、当社グループの戦略において重要な役割を果たしていくでしょう。加えて、今回の投資は、当社の英国に対する強いコミットメントと、ケンブリッジにおける豊かな科学技術の才能集団がもたらす競争上の優位性を特徴としています。

調査機関等に拠る各種見通しを示すまでもなく、確かにIoT(…Internet of Things)というのは大変大きなマーケットになって行くでしょう。但し孫さんが今回「ネット社会の圧倒的な根源を握る」べく、「たかが3兆円」で買収に乗り出したARMという会社が、今後も変わらず此の世界の覇者足り得るかと言えば、それは分からないことではないかと思っています。

これから後「ブレグジット(Brexit)…英国のEU離脱」が及ぼす悪影響として取り分け注視すべきは、EU諸国よりの人の流入の垣根が高くなって行くということ、あるいは難民に限らず他国から英国への移動自由が若干制限され行くことに繋がるのではないかということです。

冒頭挙げた「孫・メイ会談」で改めて孫さんは、「英国内に約1700人いるアームの従業員を今後5年で2倍以上に増やしたり、アーム本社を英ケンブリッジに置き続けたりする方針」を話されたと報じられています。

こうしたテクノロジーの分野にあって、英国人だけで大丈夫かと言えば、決してそういうものではないでしょう。例えば中国人が今、米国の高度科学技術の最先端領域でどれだけ活躍し出しているかと様々見るに、やはり優秀な人材が世界中から常に集まってくることがこうした領域では大事だと私は思っています。

科学技術の進歩や革新にとって、人材の多様性というものは非常に重要であります。何の世界でも画一的・均一的になってしまえば、そこに進歩というものは無くなるとすら思っています。インターネットやバイオテクノロジーでもそうですが、真に多様性が重んじられる環境下、様々な人間が集まってくることが一企業、延いては当業界の興隆に必要不可欠だと私は考えています。

嘗ても『日本の教育、欧米の教育』(14年4月2日)というブログで指摘した通り、例えばノーベル物理学賞であれノーベル化学賞であれ、その受賞者を見てみると、日本人であれ外国人であれ大学を卒業した後に渡米し、研究者としてそこで博士号を取得するとか、あるいは長期間現地に滞在し研究活動に従事する、といった人が多くを占めているという事実があります。

あの第二次世界大戦時にも、アルベルト・アインシュタインをはじめ世界トップクラスの科学者達がナチス・ドイツの迫害を逃れ、新天地を求めて米国へと脱出して行った類のケースがありました。

米国という国は、どこの国の出身であろうと、何人であろうと、優秀であれば自由な中で色々な事柄にチャレンジをさせ、そして起業するのであればそういう人の始めた会社に国や地方公共団体の助成金のみならず、エンジェルやベンチャーキャピタルも含めきちんとお金をつけて色々な形でサポートして行く、といった風土が備わっています。

あるいは米国内からでも、多様な人間の集まるシリコンバレー等を目指して行く起業家も非常に多くなっています。つまりは、そこに一つのイノベーションを齎すシステムが上手く創り上げているわけです。ブレグジットは英国に、そうした土壌の喪失を招くのではないかと危惧しています。

テクノロジーの「シンカ(深化・進化)」は、日進月歩の発展を遂げて行っています。今回ソフトバンク史上最大の「3兆円買収劇」より思い出したキングストンテクノロジーの件で更に言えば、ソフトバンクは当該企業の買収から3年後の99年、4.5億ドルでトゥさん等にその持分の全株式を売却しています。

そこからキングストンテクノロジーは勢力を盛り返し、その6年後の05年には「上海に当時世界最大規模のメモリモジュール工場」開設といった所に至ったりもしたわけです。しかし、嘗てのようにはパソコンを使わない時代となった今、結果論から言えば、あの時に株を売っておいて良かったのかもしれません。

何れにせよ、ブレグジットが故ARMを巡る状況は中長期的に大分変ってくるでしょうから、そういう意味でも先頭を切って走り続けるのは簡単なことではないでしょう。繰り返しになりますが英国という国はブレグジットにより、人材の自由な流れをある意味押さえ行く可能性を秘めた世界に入って行こうとしている、ということを忘れてはなりません。

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