広島カープと“小池新党” に感じる歴史的因縁

新田 哲史

どうも新田です。本日もスッピンで平常運転中です。そういうわけで小池さんがMedia Warsをバカ勝ちで制したわけですが、同じ保守分裂・劇場型になった都知事選でも1991年のケースと違うのは、東京都連を始めとする組織団体サイドの候補者が敗れたことです。このあたり、改めて首都東京の選挙の特異性、ダイナミズムを感じずにはおりません。(1日7時;追記あり)

笑えない都議会ゴーストバスターズ劇場

そして、ここから先はなんでもありのカオスに都庁が当面突入することは不可避な情勢です。

小池さんが都知事に就任したとしても、都議会がほとんど野党だらけになることは都民も承知で支持したわけですが、では“小池新党”があるかというと、個人的には高橋亮平さんと同じく私もここ一週間ほどは懐疑的でした。小池さんが自民を離党しておらず、小池陣営の裏舞台は某地方創生担当大臣一派の秘書さんが回しているとかの情報を聞いていると、最初は副知事選任の否決とかでゴタゴタするものの、どこかで手打ちになって、おときた君たち“みんなの残党”(失礼、笑)の皆さんは浮かれたのも束の間、ハシゴを外されて「あら〜orz」なんてなるんじゃないのかな、と思っておりました。

ところが朝日日経の報道によると、“総理周辺”or“政府高官” が小池さん本人、若狭さんたち造反組の除名を持ち出しておりますから、このまま強硬路線実行となれば、夏の夜の夢物語と思っていた“小池新党”が現実になり、さりとて都議会の冒頭解散は現実的に不可能な見通しですぐに第2Rというわけにもいきません。

この間、来年度の予算編成にかけ、永田町−新宿間の暗闘が繰り広げられ、都庁職員も息を潜めて成り行きを見守ることになりますので、都政全体のスタックは避けられなさそうです。オリンピック本番までの前座興行として、都議会ゴーストバスターズ劇場を楽しむつもりだった都民は一転、ウンザリみたいな展開になりやしないか気が気でなりません。(追記:一夜明けた日経記事「分裂自民  残るしこり」によると、除名についてはトーンダウンの模様でやっぱり手打ちへ手探りって感じですかね)。

あの年の世相を彷彿 ⁉︎

今後の展望については、八幡和郎さんの投稿や、当事者である、おときた君上田令子都議あるいは自民党サイドからは今度アゴラに入る予定の川松真一朗アナ都議といった皆さんの記事をお読みいただければと思いますが、10年に1度クラスの規模での政変の匂いもプンプン強まってきた中にあって、私などのような歴史ヲチャーは、目の前の選挙戦から一歩離れて「世相」という視点からも考えてしまいます。

ふとプロ野球速報を見ているうちに気付いたんですが、現在セ・リーグ首位を快走ならぬ快泳している広島カープが前回リーグ優勝したのは、まさに今回の都知事選と同じ保守分裂となった1991年だったんですね。随分因縁めいているなと思って、半分冗談でその年の歴史的出来事を振り返ると、国際情勢ではソビエト崩壊があり、昨今のBREXITに象徴されるEU危機を彷彿とさせます。ポケモンGOは、ゲームボーイのリバイバルなのかしら…と思っていたら、いま訃報の入ってきた大横綱・千代の富士(九重親方)の引退もこの年。引退表明の直前に新進気鋭の貴乃花に敗れたシーンは、角界の世代交代を象徴するようでした。

ググってみると「その年の出来事」系サイトはいろいろありますが(例・バブル崩壊)、1991年は「101回目のプロポーズ」等のトレンディドラマブーム、ジュリアナ東京オープンなどなどバブル名物事象が刻まれ、昭和期の色がめっちゃ濃いです。ウィンドウズ95上陸で本格開始するインターネットの普及はこの4年後ですしね。

当時の日本政界を振り返ると、小沢さんが都知事選を犠牲にする代わりに、PKO法案審議で公明党との関係を強化し、そのことが3年後の自民集団離党→自民下野・細川連立政権に至る布石となった年でした(拙都知事選連載第2回)。つまりその年の都知事選がまさにその後の日本政界の行く末に大きく影響したと言えます。

「TOKYOXIT」か「百合の乱」か

その小沢さん、細川さんの下で政治家として歩み始めた小池さんが今度は政局の主役になるというのも、また不気味な因縁を感じるわけですが、2016年都知事選が後年、“TOKYOXIT”と称されるような政界再編もはらむ大きな流れにつながるのか、それとも1年で鎮圧されて「百合の蘭…もとい、百合の乱は時代の徒花だった」みたいなオチに終わるのか。

政治に変化を求めて混乱するのは、まあ、しょうがないとも思うんですが、制御をちょっと誤ると、取り返しがつかない深みにハマるリスクがあることは歴史で示されております。まさに1991年はバブルが崩壊し、日本が「失われた20年」に突入する起点でした。そう考えると、池田のヘリマネ警鐘はアベノミクスの今後に示唆的で先々怖いものを感じます。

まあ、「ただのこじ付けじゃねーか」と笑っていただくのは結構ですが、今回の都知事選が世相という観点で見ることで私たちの国や社会の現在地点の有り様、そして今後について一歩立ち止まって思考を巡らせる意義はあると思います。

歴史に学びながら、現在を凝視し、未来を拙いながらに展望するべく、これからも試行錯誤してまいりたいと思います。ではでは。

<関連記事(個人ブログ>