産経新聞8月1日号に櫻井よしこ氏が「外務省は旧日本軍に罪を着せるのか」という驚くべき論文を載せている。
外務省に日本と日本人の名誉を守る気概はあるのか。強い疑問を抱かざ るを得ない。旧日本軍とは無関係の国際的神父殺害事件を旧日本軍の犯行であったか のように政府高官に報告し、中国の対日歴史非難と歩調を合わせるかのよ うな情報操作を、外務省が行っていた疑いがある
え、本当かね? とびっくりするが、過去の外務省の「無作為」状況を思うと、ありうると感じざるをえない。
櫻井氏によると、この神父殺害事件は1937(昭和12)年、旧日本軍の南京攻略に先立って発生した。中国河北省正定で、当時フランス政府の管轄 下 にあったカトリック教会が襲われ、神父9人(オランダ人神父を含め全 員がヨーロッパ人)が殺害された。世に言う「正定事件」である。
同事件に関し、中国とオランダは犯人は旧日本軍、殺害理由は日本軍が女性200人を要求したのを神父らが断ったことだと断定。命を犠 牲 にして女性たちを守った神父は列福して顕彰すべきだと両国が2014(平成 26)年 以来バチカンに働きかけているという。
世界13億人弱の信者を擁するバチカンの影響力は計り知れない。折し も 中国はイギリスまで巻き込んで慰安婦問題をユネスコの記憶遺産に登録 申請した。9人の神父列福の動きは、中国の対日歴史戦の一部であろう
詳しくは櫻井氏の論文を読んでもらうしかないが、結論から言うと、外務省報告は根本から間違っていた。日本の民間人の調査から当時の外交官の公文書によりそれは明らかになった。
「外務省は、先輩外交官の残した貴重な公文書に反して、日本をおとしめる 情報を政府高官に上げていた。意図的な情報操作か。それとも外務省の情 報把握能力の問題か」と、櫻井氏は厳しく現在の外務省を批判する。さらに言う。
私が事件の全体像を把握できたのは本稿で言及した民間の人々の情報発掘 の努力のおかげである。本来外務省が行うべき仕事を民間人が危機感に突 き動かされて代行している。この現状ほど、寒心に堪えないものはない
まったく同感である。私は昨年12月24日付けの本ブログで、「宮家邦彦著『日本の敵』の問題点」を書いた。
外務省0Bにして外交評論家である宮家邦彦氏が昨年9月に著した「日本の敵」(文春新書)に、上記外務省の問題点に酷似した体質を感じたからだ。宮家氏はこう書いている。
ナショナリズムは時に普遍的価値と対立するが、(慰安婦問題など)日本人にしか理解できないロジックで何度説明を試みても、結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である
筆者は激しい反発心を抱いた。以下、長いが、過去のブログを再掲するすることを赦してもらいたい。
慰安婦問題は「日本人にしか理解できないロジック」でしか説明できない、と宮家氏は本気で思っているのか。また、中国や韓国が現在、日本の歴史を糾弾する情報戦を国際外交戦略として大々的に展開している現実をどう思っているのか。彼らは世界各国が自分たちに呼応して日本を糾弾するように、史実を歪曲、誇張、捏造し、巧妙な論理で日本を貶めようとしている。「ウソも100回言えば、本当になる」とばかりに。それによって日本に対し道徳的優位に立ち、日本の国際的地位を引き下げようとしているのである。
日本がこれに抗議することは日本の国益を守るための国際政治である。偏頗なナショナリズムではない。国益を維持するためのまっとうな外交活動である。日本の若い世代、将来世代がいわれなき屈辱にひたされることなく、胸を張って生きていけるようにするための健全な政治である
史実を歪曲され、濡れ衣を着せられた状態になっても沈黙していて、どんな国益があるというのか。史実を駆使して中国や韓国の主張の間違いを正すことは、歴史学の本道であり、学問の普遍的価値に基づいたものだ。決して「日本人にしか理解できないロジック」ではない><宮家氏は、歴史について何度日本の主張をしても「結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である」という。だが、これこそが日本の外務省に見られる典型的な敗北主義、役人の怠慢なのである
宮家氏は「普遍的価値に基づいて説明する」ことが大事だなどと書いているが、彼の言うのは実は普遍的価値などではなく、「米国など国際的な軍事・外交力のある国々の意見、主張に従え。これが国際政治の現実だ」と言っているにすぎない。要するに「長いものに巻かれろ」ということだ
むろん、国際政治では「長いものに巻かれる」ことも重要だ。が、同時に少しでも、国際政治の風向きを自国の国益に沿った方向に導く努力も怠ってはならない。もちろん史実という普遍的価値に沿った努力だ。米国はじめ国際社会に対して慰安婦問題や南京事件の史実を粘り強く知らせていく。長期戦を覚悟のうえで、世界の理解を得ることが正しい外交戦略というべきだろう
あえて言えば、外務省は戦後ずっと、「長いものに巻かれる外交」に重心がかかりすぎていた。それで外交と言えるのだろうか。寒心に堪えない。国民は外務省を監視しなければならない。安倍首相もその点を感じているようだ。安倍首相を支える意味でも、外務省批判の手を緩めてはならない。