「東京都の影の知事」といわれ、石原慎太郎ですら手も足も出なかったという。自民党都連幹事長である内田茂都議の存在がにわかにクローズアップされて、東京都庁というところはよほど変なところだと思う人が多くなっている。
しかし、これは、全国的にみて特異な現象でもなく、この種の人物は茨城県の山口武平氏や広島県の檜山敏宏氏などいろいろいたのである。また、全国各地には県議でなくさまざまな形態の土着権力がいる。
それを私は、「地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図 (文春新書) 」という本にして、全国47都道府県を俯瞰したことがある。
広島県では日教組と同和関係者が異常な力を持ち、宮沢喜一元首相が「多くの人がリンチに遭い自殺に追い込まれるなかで勇敢に戦ってきたのは共産党だけ」と国会で懺悔答弁して驚かされたことがある。
長野県の信濃毎日新聞は論調は左派系だが、オーナーは国会開設以来、今年の参議院選挙までほぼ一貫して議席を維持し続けた小坂家であるし、山形放送の服部氏は地方ボスの典型と言われた。
滋賀県では武村正義氏の知事当選以来、42年に渡ってその系統の市民派知事が続いてほぼ同じ人たちが地方ボスとして君臨しているが、はたして、42年権力を独占して市民派というのは少し変な気がする。
北海道では農林水産業も鉱業もだめになって公共事業依存経済の中で道庁をい頂点とした政官財のトライアングルの支配力は永田町・霞ヶ関の比でない。大阪市では歴代市長が大正時代から延々と助役上がりであるなど市役所の支配は完璧だったが、橋下爆弾炸裂で様変わり。
知事が強い県と弱い県もあって、石川県と茨城県では戦後70年でまだ4人目の知事。石川は前知事が9期つとめ、現知事も6期目。愛媛県知事はかつて松山藩主の久松定武氏がつとめて以来、県民は殿様と間違っているのかといった強さ。沖縄県では県議会議員も個室をもらえ、知事は琉球国王のつもりで態度が大きく総理が単独で会わないとお怒り。
首長と議会の関係がおかしいのはもともと制度が悪いため
日本の地方自治は、首長の独裁と、議員のドブ板的案件や利権への関心特化が著しいため、機能不全に陥っている。これは、日本国憲法でアメリカの制度を中途半端に取り入れたがゆえである。
欧州のでは議院内閣制的な仕組みになっている。各政党が首長(議長)候補を明示して選挙戦を戦う。そして、数人の議員が副議長(副知事・副市長)という肩書きで、いわば大臣となる。
事務方のトップは官僚が事務局長となり、実務的な問題では中立性確保の観点から、首長や副議長は介入を禁じられている。
一方、アメリカでは地方自治体でも三権分立が徹底されているし、二大政党の予備選挙もある。
それでは、日本ではどうかといえば、首長は直接選挙で選ばれるが予備選挙がないので、ジャンケン的な立候補も可能だし、政策論争もほとんどない。また選出後でも、政治と行政の線引きははっきりしないし、首長への不信任は滅多に成立せず、首長選挙の次点落選者は議会に議席を持てないから、いわば野党党首不在の状態に陥る。
そのため首長選挙では圧倒的に現職有利となり、知事選挙では現職候補者の当選率が90パーセントを超えている。
議会は政策形成にはほとんど関われず、議員もいくら当選回数を重ねても国における閣僚ような立場になることはできない。
これが、たいがい議員は政策追求ではなく、ドブ板的な案件や公共工事のような利権追求に走る傾向があるし、派閥を形成して、庁内の人事に口出すことも多くなる理由だ。
また、議会は首長を辞めさせることも、再選を阻むこともできない代わりに、予算の承認を拒否したり、副知事・副市長を初めとする人事承認権を行使できるので、最悪の場合、首長がナンバー2空席のまま任期を過ごさなければならなくなったり、予算も定型的なものしかできないことも多い。
それでは、どうすべきかは、さきごろ、iRONNAという産経新聞系のサイトに、「都議会のドンだけじゃない! 地方議員は利権を貪る「自治の癌」だった」という記事を書いたが、また回を改めてあらためて、アゴラでも論じたい。