■一世代早い「ダブルケア」の足音
同年の友人が、親の介護と子供の育児という「ダブルケア」の危機に直面している。
友人の母はその世代にしては珍しい高齢出産で、35歳の時に友人を出産した。そして友人は現在35歳で妊活中だが、70歳になった母が祖母の介護から体調を崩し、間もなく介護を必要とするのではないかという事態に至っている。
友人としては子供が欲しいが、本来なら子育てを支援してくれるはずの母を、むしろ介護しなければならないかもしれない――。働きながら母を介護し、さらに子育てをする。そんなことが可能なのか、と非常に難しい局面を迎えている。
高齢出産のリスクは近年、広く認知されるようになり、女性誌でも「40代で母になる」といった特集で、成功例とともに母子のリスク(おもに身体的負担)が併記されている。だが介護と育児の「ダブルケア」に関してはまだまだ認知されていないのが現状だろう。
現在の30、40代を生んだ親世代の最初の出産の平均年齢は25.7歳(昭和50年代)。現在、すでに最初の出産の年齢は平均で5歳プラスになっている。それでも35歳で産めれば、次のようになる。
(母世代の出産年齢)26歳+(自分の出産年齢)35歳=(母世代が初孫を持つ年齢)61歳
これなら多くの場合、介護が必要とならないばかりか、母世代からの育児支援も見込める。仮に自分の代が40歳で出産しても、母世代は60代後半。個人差はあるが多くの場合、子育ての手伝いは可能だし、少なくとも介護の必要はまだまだ先、といえる。「ダブルケア」がまだそれほど顕在化していないのは、現在の出産可能年齢世代の母の世代が早めに我々を生んでいたからだ。
このサイクルが現在の30、40代世代でずれが生じてくるとどうなるか。この「ダブルケア」のリスクは、現在の30、40代から生まれる子供の世代が社会の中枢を担う頃に、より深刻度を増している可能性が高い。
(現在の出産可能世代の出産時の年齢)40歳+(その子供の世代の出産年齢)40歳=(初孫を持つ年齢)80歳
こうなると我々は子育ての戦力にならないどころか、場合によってはそろそろ介護も視野に入ってくる状況になる。つまり、現在出産可能な世代の出産年齢が遅れれば遅れるほど、自分の子供の世代に「ダブルケア」の可能性を強いることになるのだ。
さらに恐ろしい事態も考えられる。パーセンテージは大幅に減るかもしれないが、我々が75~80歳で介護を必要とし始める頃、我々の親世代が100歳前後で存命中であるという可能性だ。
となると、我々30、40代が生み出した子供世代は、100歳代の祖母、70、80代の母世代を面倒見ながら、さらに子育てをしなければならない「トリプルケア」という恐るべき将来が待ち構えている可能性すらある。しかも我々世代はその上の世代と違って、「家庭の内部留保(=貯蓄)」も持ち家もないのだ。
■仕事を辞めたら「アウト」
友人は「ダブルケア」を必要とする事態を、世間より一世代早く意識せざるを得ない状況に至りつつあるわけだが、さらにここに共働きをしなければならない状況が覆いかぶさっている。子供は欲しいが、仕事を辞めるわけにはいかない。親の介護まで迫っているとなればなおのことだ。
30代半ばで結婚していても「子育ても介護も万全なほどに収入や預貯金があるわけではない」ので、仮にダブルケアに直面するとしても、(それならなおのこと)「ケアのための費用を稼ぐ仕事をやめるわけには行かない」という苦しい事態に陥っていくのである。
社会保障費の問題では近い将来(2025年)、高齢者一人を二人の現役世代で支えなければならないとされている。政治による社会保障の充実に期待はできない。家庭の状況はさらに厳しいだろう。これから生まれてくる世代は自分を含む4世代の生活を支えなければならない可能性があるとなれば、その負担は想像を絶する。
30年、40年後、確かに介護支援技術は発展しているだろうが、仮にAI・ロボット介護を受けるにも資金は必要だ。子育てですら「カネがなくて躊躇する」状況なのに、そのうえ自分の介護費用を十分に貯蓄しておけるとはとても思えない。
すでにお子さんのいる家庭なら、子供世代に「将来、子供が欲しいなら1歳でも若いうちに」とハッパをかけてもらうしかないが、おおっぴらにやると各所から批判が殺到しかねないので、あくまで家庭教育で行うしかないだろう。
高齢出産というある種のブームの陰に潜むもう一つのリスクを考えなければならない。しかもこれは社会保障費と同様、子供たちにより大きな負担を引き渡すことになる。
先延ばしにすればするほど、事態は悪化していく。暗澹たる気持ちになるが、果たしてこの悪循環を断つ方策があるのだろうか。