「オールド左翼」の起源と「新左翼」の条件

8月2日付の「さようなら オールド左翼」が多数の方に読んで頂けている様なので、今回は前回書ききれなかった過去の経緯等を、もう少し補足させて頂きたい。

「オールド左翼」を生んだ時代背景

突然の終戦によって茫然自失した日本国民の多くがマルクス主義に強く惹かれた事は前回の記事でも述べたが、「天皇制打倒」を叫んだ共産党にはさして人気は集まらず、産業国営化による計画経済への移行を標榜した社会党が多くの国民の人気を集めた。(共産党が当初都市部よりも農村で革命を起こそうとした事も災いした。農村は都市部に比べてそれ程疲弊していなかったし、終戦後もなお天皇を崇拝する気風が強かったので、活動家達は最後まで手応えを得る事ができなかった。)

結果として、終戦後4ヶ月を経て改正された新選挙法によって行われた総選挙では、自由党(当初は鳩山一郎が総裁だったが、彼がその直後に公職追放になった為、総裁は吉田茂に交代)が140議席を獲得して第1党になったが、これに続いては、幣原喜重郎を総裁とする旧体制翼賛系の進歩党が94議席、社会党が92議席と、ほぼ拮抗した勢力となった。(共産党は5議席。無所属が81議席)因みに、その約二年後の総選挙では、社会党は衆院で143議席を獲得して第1党となり、片山哲内閣が成立している。

当時のGHQ(米軍総司令部)の民政局はニューディーラー達で占められており、彼等は集中排除法の徹底に情熱を燃やしていたので、経済運営については自由党内閣の吉田茂や石橋湛山を警戒し、社会党により親近感を持っていた。この為、当時の共産党や社会党の幹部は、日本で労働運動が更に激化して、選挙を経ずして実質的に社会主義政権が発足しても、GHQは黙認するだろうという見通しを持っていた形跡がある。

当時の世相を顧みると、国民の何よりの関心事は食料の確保であり、多くの人達が、田舎に行ってなけなしの衣類を食料と交換するという「竹の子生活」を余儀なくされていた一方、東京では大規模なデモとストが頻発し、さながら革命前夜の様相を呈していた。1946年に11年ぶりに復活したメーデーでは、50万人が皇居前広場に集まったとされ、その直前には、NHKは「聞け、万国の労働者…」で始まるメーデー歌(曲はかつての軍歌の焼き直し)の歌唱指導を、連日繰り返し行っていた。

当時これだけ多く人達の期待を背負った社会主義とは、一言で言えば「企業の国営化による計画経済の遂行」であり、また、一般の私企業においては「労働組合による経営」だった。現実に、東芝や日本鋼管など幾つかの会社では、一時的にそれまでの経営者が放逐されて労働組合が経営の任に当たった事があり、読売新聞や東宝などの「言論や文化を担う会社」でも、同じ事が起こっている。

この様な流れは、1946年の後半から1947年の始めにかけて最高潮に達する。163万人を傘下に収めた共産党系の「産別会議」に属する、炭鉱、電力、新聞、放送などの各組合は、一斉に激しい賃上げ要求を掲げ、これに全ての公官庁と国鉄、私鉄、電電公社などの労組を加えたゼネストが企画されていた。これによって吉田内閣を打倒し、社会党と共産党の相乗りによる「人民戦線内閣」を一気に樹立する事が、密かに構想されていたのである。

左翼運動の挫折

しかし、ここで、日本の左翼勢力が後楯とも頼っていたGHQの内部に異変が起こる。終戦後しばらくは協調路線を模索していた米英仏とソ連が、両者間の埋めがたい溝を認識しはじめ、東西冷戦が激化してきた。そうなると、米国は、当然の事ながら日本での左翼勢力の伸張を嫌い、むしろ吉田政権を支援する方向に舵を切り直す。社共が1947年2月1日に企画していたゼネストは、GHQの鶴の一声で中止になり、その後の日本においては、過激な労働運動は徐々に退潮へと向かう。

注目すべきは、ここから「左翼がその影響力を温存した分野」と「そうでない分野」が分離していった事である。前者は、公官庁、三公社(国鉄、電電公社、たばこ専売公社)五現業、日教組などの「親方日の丸」系、及び、新聞、放送、映画などの「文化人」系であり、後者は「商工業に従事する普通の民間企業」だった。この事は極めて示唆に富む。

かつて社会党や共産党が推進しようとし、多くの人達が密かに期待を寄せていた「産業の国有化」を、良い事だと思う人は今や殆ど何処にもいないだろう。逆に「民営化」によって生まれ変わったJRや NTTやJTは、たちまちのうちにサービス性を向上させ、多くの人達から愛されるに至っている。

(これに比し、むしろ、昔ながらの左翼的傾向が残存する「新聞」や「放送」のような「文化人」系の企業には、「高すぎる給与水準」や「上から目線」が今なお顕著であり、時折多くの人の眉を顰めさせる様な言動が垣間見られている。)

こうして、経済の復興と共に退潮に向かいつつあった左翼路線も、安全保障問題では、「非武装中立の平和路線」を標榜する事によって、なお多くの国民の支持を得られる素地を残していた。それは、突き詰めれば「東西対決の際に西側の最前線に立たされるのは兎に角ご免蒙りたい(それが東側を利する事であっても別に構わない)」という気持ちが、多くの人々の心底にあったからだ。これによって1960年代、1970年代の安保闘争はそれなりに盛り上がった。

しかし、その動きの中でも、当時はまだ全面的にコミンテルンの指揮下で動いていた共産党の力は、若干減衰に向かっていた。先ず、全学連が「ハンガリーに侵攻したソ連軍の暴挙を非難しなかった共産党」を非難して、その指揮下に入る事を拒絶し、また、その中の一部は、共産党のやり方を手ぬるいとして、極端な暴力路線を標榜し、「新左翼」となった。

しかし、どんな場合でもそうだが、大衆運動の多くは、より過激な事を言う人達に引きずられる傾向があり、これにより、結果として人心が離反して自壊していく。一時は盛り上がった反安保闘争も、結局は何の結果ももたらす事が出来なかったのみならず、後に残ったのは、誰の共感も呼ばない「血で血を洗う内ゲバ」に狂奔するだけの「新左翼」だったという現実を見せつけられ、多くの若者達は急速にしらけた。時あたかも、池田内閣の推進した「所得倍増計画」が文字通り成果をあげつつあり、人々の関心は「経済発展による生活水準の劇的な向上」へと急速に向かっていった。

もはや本来の左翼ではなくなった現在の「オールド左翼」

現在、左派の人達は「護憲(非武装)」と「反原発」を共通項にして結びつこうとしているようだが、奇妙な事に、このいずれも「社会主義」や「共産主義」とは本来何の関係もない。(この辺の事は、2014年8月18日付の「サヨクの系譜」と題する私のアゴラの記事に詳しく書いているので、是非ご参照願いたい。)

勘ぐるなら、「もはや社会主義や共産主義を標榜しても人々はついて来てくれず、その一方で、誰でも戦争は嫌だし、放射能汚染も怖いと思っている筈なので、これを自民党政権との対立軸にしていけば、存在意義が残るのではないか」と彼等は考えているのではないかと思われる。しかし、それでは困る。

「安全保障問題」は昔とは様変わりで、今、最も懸念されるのは「中国の対外膨張主義(内政についての国民の不満を外に向けさせる為の政策)」であり、これに加えるに、「北朝鮮の暴発リスク」もある。(「テロの頻発を嫌う欧米の露骨な自国最優先主義」も若干の懸念事項ではあるが、この二つに比べればさしたる懸念ではない。)

しかし、こうなると、昔から今に至るまでずっと「人民中国」を賛美し続けてきており、徹底した軍国体制の北朝鮮にさえも多分に同情的だった「オールド左翼」の人達が、「危険など何処にもない(だからそれに対する備え等は全く必要ない)」と言うのでは、何ともシマらない。下手をすると「この人達は、日本を丸腰にして、中国の実質的支配下に入れてしまった方が、自分達の羽振りはよくなると考えているのではないか」と疑われさえもするだろう。

「日米同盟に反対」という事では共通していても、「西側の尖兵として戦わされる位なら東側体制に組み込まれた方がまだマシ」と考えた昔の論理はもはや全く通用しない事を、この人達はよく認識しておいた方がよい。今の日本は昔程には貧困ではなく、共産主義体制の方が豊かになれるとは誰も思っていないからだ。現在の日本人の殆どは、自らの「生命」と「財産」、「自由」と「尊厳」だけは、誰にも決して犯されたくはないと思っている筈だ。

安全保障の問題についても、多くの人々の間では、当然色々と考えの相違はあるだろう。しかし、それは「どうすれば戦争を防げるか」という戦略論、方法論の違いであるべきであり、最早どう考えても「哲学」や「イデオロギー」の問題ではないと思う。

「反原発」の議論も同様である。

原発のあり方については、多くの人々の間に異なった意見があり、その視点も多岐にわたる。しかし、みんなどうすれば安全性と経済性のバランスが取れるかに腐心しているのだ。それなのに、その一方で、極端に非科学的な議論で、無理やりにでも人々の恐怖感を煽ろうとしている人達が存在しており、その中には、何故か「オールド左翼」の人達が多いのだ。

このような現状を見ると、昔の共産革命路線の戦術に詳しい人なら、「エネルギー政策の崩壊によって国の経済を弱体化させ、貧困になった人達の不満を革命へのエネルギーに転化させていく」遠慮深謀ではないかと勘ぐってもおかしくない。勿論、現実にはまさかそんな事はないだろうが、かつてのやり方が身体に染み込んでしまっていて簡単には抜けず、結果としてこういう形になっているのかもしれない。

「安全保障政策」や「原子力政策」については、左翼思想とは何の関係もないという立場から、あらゆる人が、共通の議論の場で、色々な観点に立脚する議論を大いに戦わすべきだ。勿論、両方とも極めてデリケートで深い洞察力を要する問題だから、「ハンターイ」と叫んでデモをする様な粗雑なやり方は控えてほしい。そんな安易な考え方で、この難しい問題に取り組もうという事自体が、そもそも極めて不見識だ。

期待される「新左翼」

どんな世の中になっても、左翼勢力の存在は、爛熟した資本主義体制へのカウンターテーゼとして、やはりどうしても必要だと思う。しかし、既に過去の遺物と化した「オールド左翼」は、そろそろ願い下げにしたい。

これに代わって台頭すべき「新しい左翼」は、安全保障問題等の種々の政治的な課題に対しては。国民目線でフレクシブルに対応する姿勢を基本としつつも、基本的にはあくまで左翼らしく、しっかりと本来の課題に取り組む事を忘れないでほしい。

それは、「資本主義(特に金融資本主義)の行き過ぎを是正して世界経済を安定させ」「貧富の格差拡大を防ぐ事によって社会の不安定要素を除去し」「教育の機会均等を確立し、能力ある人がその能力を発揮できない様な不公正な慣行がもしあるなら、必ずそれを是正する事によって、世界中の全ての若者達に希望を与える」という「明確な目標」に向かって邁進する事だ。

かつての日本の「新左翼」は、頭のよい若者達が集まっていたらしい形跡はあるものの、ひたすら破壊を求めただけで、何一つ人々の為になる事をしない「凶悪集団」だった。その一方で、何の目新しい思想も持たず、物事を深く分析する能力があるのかどうかさえ疑わしい「最近出現したシールズ」等は、共産党の下部組織の様なもので、とても「新左翼」の名前には値しない。

多くの人達が期待すべき本当の「新左翼」は、これまでの歴史を深く洞察し、常に誠実に合理的に考え、且つ結果を出せる人達によって構成されていなければならない。そういう人達は、現在の政治家の中にも、現在所属している政党の如何にかかわらず、必ずどこかにいる筈だと私は信じている。