西尾幹二氏がWILL9月号に「安倍首相への直言 なぜ危機を隠すのか」という論文を書いている。
元自衛隊の織田邦男元空将が6月28日のJBプレスに、中国の戦闘機が東シナ海上空で空自のスクランブル(緊急発進)機に対して攻撃動作を仕掛け、空自機は自己防衛装置を使ってミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱した、という論文を発表した。
西尾氏はこの論文を重視、「中国軍は、空自は逃げたと見て、今後もっと強硬に出てくる」と危惧する。習近平政権がそれほど強硬でなくとも、中国軍はその意志を尊重せず、勝手に行動している危険性があると指摘する専門家もいる。
いずれにせよ、それほど緊迫しているのに、安倍政権はなぜ、その事実を正直に語らないのか、と西尾氏は憤る。
大手メディアも産経を除いて、ほとんどがこの事実を紙面やテレビで指摘せずに黙っている。
政治家は危機などを伝えると嫌われ、支持率が下がると考えているようだ。国民の多くは、問題があっても国民の知らないところでうまく解決してくれる政治家を望んでいる。
大手メディアも殊更危機を強調して読者を「暗い気分」にさせ、「このメディアは右傾化している」と思われて、読者や視聴者が離れることを恐れている。
多くの日本人は、中韓と緊張よりも「平和、友好関係を築く」ことに力を入れていることを強調する政治やメディアを望んでいる。
それが現状なのである。今回の都知事選で鳥越俊太郎氏が135万票も確保したのはそのためだ。なるほど小池百合子氏の291万票よろははるかに少ないが、それでも135万票は大変な数である。
あれほど都政や国政の知識に乏しく、ずさんな知識と知識の捏造に終始してテンとして恥じない鳥越氏。「それでも平和と友好的外交」を唱えている限り、135万票も獲得できる。それは中国や北朝鮮の現実を見ずに、安保法案の危険性ばかり強調する民進党や共産党の支持率に匹敵する。
真実を知らずに、平和な気分でいられることを望む日本人。憲法9条を始めとする憲法改正が難しいのもそこに由来している。
安倍首相がはっきりと真実を語らず、国民の目を現実から逸らさせている限り、憲法改正ができるはずがない。国民が日々、他国の脅威に不安と恐怖を抱きつつ生きていくのはつらいことかもしれませんが、たとえばイスラエルで人は日々そうやって生きているのです
まさにその通り。外国では当然の「大人」の生き方だ。
真実と向き合わず、無知ゆえの安心の上に成り立っている虚妄の平和、しかし、どこか隙間風のような不安が絶え間なくつきまとう、私はそんな状態を「平和の猥褻(わいせつ)感」と呼びます。恥ずかしいという感覚がないのです
「平和の猥褻感」とは言いえて妙。国民は中国や北朝鮮と緊張関係にあるよりも友好関係の構築を望む。いつまでも拉致被害者がいてもそれを「恥」とは思わない国民も少なくない。
だから、安倍首相も「これからわが国には困難ではあっても、どうしてもやらねばならないことがある」といった国民が嫌うようなことをはっきりとは言えない。第2次安倍政権後、靖国神社の参拝は1回限りにとどまったのも中国や韓国への気兼ねが大きい。
「それで平和が保たれているのならば、いいじゃないか」。
そう思っている国民は鳥越氏の支持者同様、あるいはそれ以上に多いのではないか、と私は疑っている。
「平和の猥褻(わいせつ)感」は、第2次大戦の敗戦に由来する。西尾氏は書いている。
(敗戦によって失われた)第一は軍事的知能である。(その結果どうなるか。)核保有国に媚びようとする気運が、必ずや日本国内に浮かび上がってくるだろう。その勢力が、平和の名において声高に叫び始めて、政治力を形成する
現在の民進党・共産党勢力がそうだが、自民党もこの流れに押されている。
核兵器の無言の恐怖の圧力と重なって、問題を先送りする意識が政治を次第にねじ曲げていき、自らを威嚇している独裁国家に経済援助し、その軍事力にせっせと協力するということです。ある意味では、日本はすでにそうなっているとさえ言えるかもしれません
中国とそうなっていると言われて、まっこうから否定できる論者がどの位いるだろうか。
友好に名を借りたに日本への内政干渉、警察力にも目がつけられ、誰も唇寒くてものが言えない時代がやってくる。西尾氏の描く将来シナリオは冷徹だが、GHQの占領時代の姿はこれに近い。
中国が支配すれば、もって苛烈な圧政が日本を縛るだろう。
だが、多くの日本人はそこまで考えていない。「いいじゃない、米国に支配されていた時も、今もかなり自由でしかも経済は良くなって行った。何よりも平和が維持されていた」。
この程度にしか考えていない日本人が相当に多いと、私は危惧している。そして、少なくともメディアは最近の中国の軍事攻勢については、できるだけ正確に情報を提供すべきだ、それが大事だと痛感する昨今である。
※画像は首相官邸公式サイトより(アゴラ編集部)。