フランスの小出版社(ピラニア出版社)は予定していたイスラム教の批判書の出版を突然中止した。その理由は「イスラム過激派の報復テロを回避するため」というものらしい。批判書はドイツでベストセラーとなった「イスラム教ファシズム」(Der islamische Faschismus)だ。
2014年10月にフランス語翻訳権を購入し、著書の翻訳も完了し、アマゾンによれば、今年9月16日には売り出される予定だった。多数の予約注文が既に殺到していたという。それが突然、出版中止となったことでちょっとした話題を呼んでいる。以下、オーストリア代表紙プレッセの記事(8月11日付)からフランス小出版社の苦渋の決断を紹介する。
著者はエジプトのカイロ生まれの著作家 Hamed Abdel Samada 氏(44)だ。同氏は、ドイツで独語、政治学を学んだ。同氏のイスラム教批判は有名で、「ファシズム的思考はイスラム教の中にそのルーツがある」と発言したため、同氏は2013年、イスラム教誹謗者として死刑宣告のファトワーを受けている。
出版社の説明によると、「社員に出版すべきかを聞いたところ、全社員が中断すべきだと答えた。大出版社の場合、様々な著作を出したとしても問題は少ないが、小出版社の場合、思想的に色がついて見られるようになり、今後の出版活動に支障をきたす危険性が出てくる」というのだ。出版社の名前はピラニアといい、戦闘的なイメージだが、実際はそうではなかったというわけだ。
仏出版社が著者の翻訳・出版権を獲得した2014年と現在ではイスラム過激主義に対するフランス国民の受けとらえ方は大きく変わってきた。換言すれば、「多くのテロ犠牲者が出た」。
昨年1月7日の仏の風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社テロ事件を思い出してほしい。イスラム過激派テロリストが風刺週刊紙本社を襲撃し、自動小銃を乱射し、編集長を含む10人と、2人の警察官を殺害した。その直後、300万人以上のフランス国民が反テロ国民行進に参加した。行進に参加した国民は同週刊紙の愛読者だけではなかった。むしろ、言論の「自由」というフランス革命の成果が攻撃されたことに対する憤りが強かったからだ。
フランス国民は「Je suis Charlie」(私はシャルリー)という抗議プラカードを掲げた。そして次第に「私はシャルリー」ではなく、「私たちはシャルリー」と書いた紙を掲げる人々が出てきた。これは単数から複数への変化というより、「個人の自由」を追求してきた国民がその自由を守るために社会、国家の関与を求めだしてきた、と受け取られた。
フランス国民にとって不幸なことは、同国でその後もテロ事件が頻繁に発生したことだ。同年11月13日にはパリのバタクラン劇場や喫茶店などでイスラム過激派テロリストによる同時テロ事件が発生、130人が死亡した。今年に入っては7月14日 フランス革命記念日の日、フランス南部ニースの市中心部のプロムナード・デ・ザングレの遊歩道付近でチュニジア出身の31歳のイスラム過激テロリストがトラックで群衆に向かって暴走し、85人の国民を殺害したのだ。
フランス国民のテロへの恐怖はもはや中途半端なものではなく、非常にリアルなものとなってきたのだ。2014年の段階では全く問題がなかったイスラム教批判書の出版も2016年夏の段階ではそうともいえなくなったきたのだ。
ボクシングに例えれば、相手選手からボディ・ブローを受け続けてきたボクサーのようなものだ。痛みやダメージが回を重ねるうちに次第に深刻に感じだされてきたわけだ。
2年の間でフランス社会、国民のイスラム教テロに対する受け取り方は大きく変わってきた。もはや「言論の自由」、「出版の自由」という錦の旗を掲げているだけではテロとの戦いに勝てないことをフランス国民は感じだす一方、テロに対する恐怖感は一層現実味を帯びてきたわけだ。
イスラム過激テロに対して戦争宣言をしたオランド仏大統領は同国の小出版社の決定をどのように受け止めているだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月13日の記事を転載させていただきました(タイトルはアゴラ編集部で改題)。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。