国民はボケてる?鳥越俊太郎氏にだけは云われたくない!

岩田 温

私はスポーツに興味がないから、オリンピックは見ていない。しかし、ニュースの記事で読んで素晴らしいとおもう出来事があった。

体操男子個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手に、記者が審判が随分と好意的だったのでは、という意地悪な質問をした際に、銀メダルを獲得したウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手が「採点はフェアで神聖なもの。今のは無駄な質問だ」と一蹴した一件だ。負けた直後に勝者を褒めたたえるという行為は、素晴らしいことだが、なかなか出来ることではない。このベルニャエフ選手は敗れはしたが、人間の品性の気高さを世界に示すことになった。実に清々しい思いがした。

ところで、こういう清々しい立派な若者に比べて、自らの非を認めようとせず、あまつさえ、国民を罵る老人が日本に存在していたことは、日本国民の一人として恥辱の極みであった。

東京都知事選挙に落選した鳥越俊太郎氏が「ハフィントン・ポスト」で、敗因について語っているのだが、ベルニャエフ選手の爪の垢を煎じて飲ませたいとしか思えない、支離滅裂、出鱈目な対応だった。

幾つか驚いた言葉を引用してみたい。

ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん。力ないじゃん。だって安倍政権の跋扈を許しているのはペンとテレビでしょ。メディアが肝心のところを国民にちゃんと訴えないから、こうなるんでしょ。僕はペンの力なんか全然信用していません。だから、選挙の中で訴えるという一つの手がある。そう思っている。

これは、本来であれば、自己否定以外の何ものでもないだろう。ペンとテレビで報道し続けてきた鳥越氏は、自分自身を「ダメじゃん」といっていることに気が付いていないのだろうか。

私はこの鳥越氏の見解には全く反対だ。ペンの力もテレビの力も存在している。だから、非力な私も本、雑誌、ブログに文章を書くのだ。この文章が日本の誰かに読まれ、もしかしたら、何か好ましい影響を与えてくれるかもしれない。そういう思いがなければ文章など書けはしない。テレビの出演も同じことだ。私は鳥越氏ほどテレビに出演しているわけではないが、声がかかれば、出来るだけ日程を調整して出演するようにしている。それは、メディアを通じて、何らかの意見を発信したいと思うからであり、発信した以上、受け止めてくれる人がいるであろうと信じているからだ。

仮にペンを信用せず、メディアがダメというならば、鳥越氏は文章も書かず、テレビに出演しなければいいだけの話なのだ。自分のメッセージが通じないとして自らの非力を反省するならともかく、ペンやメディアを否定して、自分だけは正しいと居直るような姿勢は傲慢であり、敢えて言えば、間違っている。

ネットは出ていないね。ニコ生とかは「出なきゃいけないメディア」と考えるかどうか。それは判断の分かれるところ。僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない、悪いけど。あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ。あんなのおかしいじゃないですか。
ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている。

率直に言えば、おかしいのはニコ生ではなくて、鳥越俊太郎氏の感性である。文字がどんどん画面に出るというが、嫌なら、文字がでないようにしてみればいいではないか。メディアはテレビと新聞だけで、それ以外のネットは「裏社会」だと言ってのける無神経さには恐れ入る。多くの国民は、テレビ、新聞だけでなく、ネットからも情報を得ようとしている。確かにネットの情報は玉石混交といってよい。だが、テレビや新聞が「玉」ばかりかといえば、そうでもあるまい。その証拠に、どう考えても「玉」とは思えない「石」の象徴のような鳥越俊太郎氏がテレビに出演しているではないか。

日がな一日テレビで鳥越俊太郎氏やそのお仲間の話を聞く人より、ネットで情報を検討してみようとという人の方が、よほど常識的な人だと、私は思う。

僕は何も知らない。スケジュールまでは管理してないんで。おそらく民進党の選挙のプロがいて、その人が街宣の場所を考えていたんだと思いますよ。「ハイ、鳥越さんこれが明日のスケジュール」って渡されるだけ。「どこへ行きたい」とか、そんなのはないの。

政治家は官僚の言いなりだ、云々と威勢のいい批判を繰り返してきた人が、自分の日程一つ決められなかったというのだから、話にならない。全部他人任せで、自分は知らない。このインタビューを読んでいると鳥越氏は自分自身を悲劇の主人公だと思っているような節があるかもしれないが、冗談ではない。三文喜劇の道化、それが鳥越俊太郎氏に他ならない。知らぬ存ぜぬの「バカ殿」といった役回りだろうか。

今の国民ははっきり言うと、ボケてますよ。私に言わせると。

誰もが思ったはずだ。あなたにだけはいわれたくないと。「昭和15年の生まれです。終戦の時二十歳でした」などとどう考えてみてもおかしな発言をしたとき、この老人は「ボケて」るのだろうか、と思ったひとが多かったはずだ。多くの人は、たしなみとして「ボケて」るとはいわなかった。「健康状態に・・・」と言葉を濁した。自分の年齢すらまともに認識できない鳥越俊太郎氏に、国民が「ボケてます」などといわれる筋合いはない。逆に言ってやろう。
「今の鳥越さんははっきり言うと、ボケてますよ。私に言わせると」

最初「厚化粧」と発言した。たしなめられて、次の街頭演説ですぐに撤回し、謝りました。そのぐらいで票は減りませんよ。

小池百合子氏のことを「厚化粧」と罵声を浴びせた石原慎太郎氏に便乗した鳥越氏の言い訳だ。「そのぐらいで票は減りませんよ」とは、どこまで、女性や有権者を馬鹿にすれば気が済むのだろうか。

今回の都知事選を通じて明らかになったことがある。戦後日本において、「リベラル」「リベラル」と大騒ぎする人たちは、「反知性主義」の虜に他ならなかったということだ。

日本のリベラルが脱皮するためには、鳥越俊太郎的なるもの、すなわち、反知性主義から脱却しなくてはならない。

なお、小池都政に関しては、「小池百合子はマルクスを読むべし!」という一文を書きました。勿論、マルクスの著作とは『共産党宣言』や『資本論』ではありません。今回のような首長と議会との対立についての鋭い論考があります。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。去りゆく鳥越氏はさておき、今後の小池都政の行く末が気にかかるところです。


編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。