英FTのコラムニストに聞く、FTのジャーナリズム(下)

昨年末、日本経済新聞社の傘下に正式に入った英フィナンシャル・タイムズ(FT)グループ。英国の経済・金融専門紙として長い間読まれてきたFTのジャーナリズムとは、一体どういったものなのか。

拙著『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社、今年1月出版)の執筆のため、FTのジャーナリストや関係者複数に「FTのジャーナリズムとどういうものか」を聞いてみた。インタビューの一部は本の中にコメントとして入っている。

今回は金融コラムニスト、ジョン・プレンダー氏に聞いた話を紹介したい。

(上)はこちらから

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ーどうやって質の高いジャーナリストを雇用できているのか。

質の高い記事を書くジャーナリストになることが尊敬に値する仕事だと思われており、大学でもジャーナリストになりたい人がたくさんいる。経済に特化したFTには優れた人材が集まってくる。金融街ですでに働いていた人やシンクタンクで働いていた人もいる。

―プレンダー氏の場合はどのような形で入ったのか。

入社以前にジャーナリストとしての経験があった。ニュース週刊誌「エコノミスト」の金融エディターだったし、その後は外務省のエコノミストだった。

最初はFTの社説を書くために入った。その後は論説を書いた。

―当時から、記事はすべて署名記事

社説以外はすべて署名記事だ。署名でないのはエコノミスト誌ぐらいだ。

―経済専門紙としてのFTで働く記者には、いろいろな情報が集まるだろう。特定の企業からの情報提供もありそうだ。様々な誘惑に負けずに、真実を書くという行為を全うする秘訣は何か。

心の持ちようだと思う。

―情報源との距離の取り方について、社内規則のようなものはあるのか?

利害の衝突がないようにという規則は確かにある。もしある企業の株を持っていたら、その企業について記事は書けない。

最も重要なのは独立しているという気持ちの持ちようだ。特に大企業や金融業界から独立していること。

ジャーナリストであれば本能のようなものを共有していると思う。ジャーナリストを目指すのは何が起きているかを探索してみたい、調査してみたいという気持ちがあるからだ。ビジネスに対しては懐疑心を抱く。

例えば、自分は今は論考記事を主に書いているけれども、以前は調査報道をやっていた。その1つが2000年代初期の米GE社についての記事だ。財務諸表を見ているうちに、子会社が資本不足になっていることに気付いた。危ない状態だった。これを記事化すると、企業側は非常に憤慨した。

私が言いたいのは、FTは世界の大企業を憤慨させても構わないと思っている点だ。もし十分な理由があれば、権力を持つ相手を攻撃することもいとわないのがFTだ。

―記者同士の競争は?

もちろんある。どの新聞社でも記者は互いに競争しようとする。

ただし、FTの記者はおそらく協力しようという気持ちが強いと思う。品位を保つための心意気、集団としての野望を共有している。互いの競争に気がとられることがない。働きにくい同僚と言うのはいるものだ、どこの組織にも。しかし、一般的に言って、FTでは共通した目的を達成するという部分がジャーナリストの間に共有されている。

ジャーナリスト同士が協力し合うという雰囲気を作るのは編集トップの力だ。編集長が職場のトーンを規定する。

―日経の前の所有者ピアソン社から編集への圧力はなかったというが、本当か。

そうだ。ピアソン社はずば抜けてよい所有者だったと思う。編集部に電話してあれを直せ、これを直せと言うことがなかった。このために犠牲を払ったこともある。

例えば、1992年の総選挙では労働党の党首はニール・キノックだった。キノックは左派中道路線の政治家だ。FTは選挙で労働党を支持した。しかし、労働党は負けてしまった。

金融街の多くの人が憤慨した。業界が愛する新聞FTが労働党を支持したからだ。広告を引き上げる企業もあったと聞く。

労働党支持でFTは痛手を背負ったが、ピアソンは当時のリチャード・ランバート編集長を解任しなかった。言及したかどうかも疑わしい。

親会社としてのピアソンは編集長を任命し、解任する権利を持っている。

―金融街(シティ)とFTの関係を知りたい。ロンドンの金融街に働く人が必ず読む新聞だろうか?

シティの中でもやや年齢層が上で、幹部の人が読むのだと思う。デジタル革命が進行中で、ブルームバーグなどの金融情報端末がどんどんニュースを出してしまう。速報として金融情報を出すという役目はFTのものではなくなった。

シティで働く若い人にFTを読んでもらうことが大きな課題だ。

それでも、非常に高く評価されているのは確かだ。シティの金融機関に取材に行くと、幹部はみんな読んでいる。ただし、一部の銀行家をのぞけば、だ。FTは銀行家に対して非常に厳しい記事を出してきた。

私を筆頭に多くのジャーナリストが銀行家のボーナスについて厳しいことを書いてきた。例えば、大きな問題となっているのが、銀行家がもらう報酬のインセンティブの仕組みだ。リスクをとればとるほど報酬が多くなるように作られている。後で利益が出なかった場合でも報酬が支払われる。

FTがあまりにも厳しく批判的な記事を書いてきたので、主要銀行の幹部の中には自分たちが追及されたと感じ、傷ついた思いを抱いている。

といっても、これまで通りFTとの会話を続けている。話をしないと、自分たちの主張さえ聞いてもらえないことを知っているからだ。話をすれば、少なくともジャーナリストを説得する機会が得られる。FTのやり方には一定の合理性があると見る人は多い。

銀行家のボーナスについては、本当にひどいものだった。LIBOR(ライボー)や外為のスキャンダルがあったしー。(注:LIBOR事件は英バークレーズ銀行のトレーダーがほかの金融機関のトレーダーたちなどと共謀し、世界的な金融指標金利を不正に操作した事件で、2012年に発覚。外為不正操作事件では、2015年、米司法省や米準備制度理事会などが欧米の金融機関6社に約60億ドルの罰金を科した。)FTに来て話をする銀行家たちは、こちらが疑いの眼で話を聞いていることを知っている。

―FTの目的は読者に真実を語ること?

全くその通りだ。私たちの義務は読者に伝えること。

―読者は全員が富裕層と言うわけではない?

驚くほどに広範な人々だ。ビジネスあるいは金融界の政策立案者、学者、エコノミストなどが熱心に報道を追っている。左派系の人も良く読んでいる。ほかの新聞に比べて安心感があり、より興味深い記事を掲載しているという。

私のコラムには読者からメールで反応が来る。そのバックグラウンドは様々だ。

―想定している読者層は?

特定の読者を想定していない。ロンドンのハマースミスにある学校で経済クラブがあるそうだ。そこに来て、講演をしないかと言われたことがあった。メンバーは私のコラムを愛読しているそうだ。

メールは世界中から来るので、どんな読者が読んでいるかを一概には言えない。

―FTは知識人が読む新聞で、記者も高等教育を受けたエリート層が中心ではないかと思う。社会の下層で起きていること、現実的な話は分からないのでは?

20年か30年前にはそういう批判があったし、当時はそうだったかもしれない。しかし、今、FTで働く記者を見ると、その社会的バックグラウンドは実に多岐にわたる。人種もそうだし性別でもそうだ。

知的なコンテンツを作っているので、知的な人が執筆するという状態は避けられない。リスクもあるだろう。しかし、メディアは民主的な存在ではない。

何を書くにせよ、高い知的能力を持った、さまざまなバックグランドがある人が書くことは重要だ。編集長はこうしたことが実現するよう、気を配っている。

―FTが日本の新聞社に所有されていることについて

FTはいつかは売却されるはずだった。ピアソンが教育出版に専念したいと言っており、ピアソン社の中では新聞社は特異な存在だった。

いずれ売却されるのであれば、誰にいつ売るのか?可能性のある企業はいろいろあったが、日経は最善だったと思う。良い企業だし、たくさんの強みがあり、FTとは共通点が多い。

懸念もある。英国から見ていると、日経は経団連や大企業に非常に近いように見える。FTの感覚からすると、(権力に対して)上品すぎる。

文化が違う企業が一緒になることへの懸念もある。日本と英国の文化はかなり違う。うまく行くには日経にもFTにもたくさんの経営上のスキルが必要とされるだろう。

どちらも伝統的な新聞社だ。FTにはグローバルなネットワークがあり、二つの新聞のシナジー効果で調和を持って互いを活かせると良いと思う。私は楽観的だ。(終)

(取材:2015年9月)

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ご関心がある方は、「英国ニュースダイジェスト」のFTについての連載もご覧ください。


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2016年8月18日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。