企業の仁義なき戦い

岡本 裕明

任侠の中でもヤクザの世界をみるとその仁義の重んじ方は独特であります。いったん契りを交わせば肉親以上の関係になり、その縁は簡単に切ることはできません。日本はこのような任侠が「男気」として美談化される傾向があり、企業間においても一種の「契り」として株式の持ち合いがありました。

今だからこんなことを言い放つこともできますがかつては日本の銀行は取引先と株式を持ち合い、お互いの仁義を交わしていました。「君には雨の日にも傘を差しだすから」という血判書ですから持ち合いすることで兄弟愛を感じあっていました。

ところがそんな悠長なことを言っている余裕がなくなったのが近年の株式持ち合いで「ドライな関係」に戻りつつあるわけです。それゆえに池井戸潤氏の小説がバカ受けし、「雨の日には銀行の傘は濡れないようにしまっておく」という話がまことしやかに一般社会に浸透していきます。ですが、もとを辿れば本当は銀行が傘を回収したのではなく企業が「傘はいらん」としたのが正解です。そういう意味では池井戸潤氏の小説は銀行を悪者扱いにし過ぎているきらいがあります。

80年代に企業に於いて社債という資金調達方法が普及しました。無担保転換社債や低利の社債などがバンバン発行されたのです。企業は(当時はまだ金利が高かった)銀行借り入れよりコストが安い社債による資金調達を好みました。つまり双方の関係解消のきっかけであります。ところであの時期、企業の資本金は転社の株式転換が進んだことで急速に膨れあがる事態も併発しました。ROEは当然下がります。

次いで2001年に銀行の株式所有を制限する「銀行等の株式の保有の制限に関する法律」なるものが出来て銀行は本格的に持ち合い解消に動き出すのです。持ち合いとは護送船団方式だったとも言え、企業との関係が事業ベースというよりお付き合いの深さで推し量っていたとも言えるのでしょう。

銀行との関係に距離が出た企業はどう防衛したかといえば、稼いだ金をせっせと借金返済に回し、銀行との関係を自ら薄く、軽くしていくわけです。実質借金ゼロとは多少銀行借り入れもあるけれど現預金がそれを上回っている場合をさし、今や企業側が銀行に対して「お宅、金利をもう少し優遇しないなら借金は全額返済して関係解消ですな」と立場逆転すら起きているわけです。

このドライな企業関係は銀行との関係のみならず企業間の持ち合い解消も加速させました。日経によると2016年3月期の1年間で持ち合い解消はさらに1兆円規模に上るとされています。中には三菱グループ内の持ち合い一部解消が進むなど「企業舎弟」すら薄まる状況にあるようです。

昔はビジネスを安定化させるため、垂直型の企業連合のような形で「みんなで助け合えば怖くない」的な発想もあったものと思われます。かつて発注側企業は下請けの会社(協力業者)に株式を持たせたりしたのです。ところが、現在は財務体質が改善した上に、コンプライアンスにガバナンス、声が大きくなった社外取締役の監視の目もあり、無意味な持ち合いはバッサリ切られ、「我が社は我が社の道を歩むのみ」ということなのでしょう。

株式市場ではこの膨大な持ち合い解消に伴う売り圧力が株価を抑え込む原因の一つとされてきました。とはいえ、既に持ち合い解消が本格的に始まって20年もたつわけですからこの売り圧力の影響は軽微になってきていると思われます。

ここから更なる仁義なき戦いがあるとすれば財務力と規模を持つ企業が水平型で市場を制覇しようとする動きでしょうか。例えば住宅業界で飯田グループホールディングスという会社があります。パワービルダーの走りですが、もともとは6つの上場住宅販売会社を2013年に1社に束ねて規模を追求したものです。売上は1兆2000億もありますから大和、積水、住友林業あたりと勝負できる程であります。この業界は資材の購買力と人材活用がキーですので飯田グループの戦略は当たったということになります。

最近では興味深い記事としてゼネコンの鹿島が建設工事会社を自社で設立するというのがあります。ゼネコンは技術を売り、下請けを束ねるのを業としていました。が、その鹿島は自社でそれを抱え込むことで人材確保、技術力の安定、発注価格の安定感などを目論んでいると思われます。これなどは全く新しい囲い込みであるとも言えます。

時代は変わります。その中で企業活動も大きく変化する中で株式持ち合いといった古い体質のしがらみが取れて企業が独自の成長の動きを進めることは日本経済にとって大きなプラスのチカラとなるかと思います。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、みられる日本人 8月19日付より