トルコで先月、軍の一部によるクーデタ未遂事件が起きました。トルコは人口、およそ7800万人の国で、国民のほとんどがイスラム教徒です。エルドアン大統領は、事件に関わった軍人など、約7500人を拘束しています。
実はトルコにおいて、軍部のクーデタは珍しいことではありません。戦後、約20年周期で軍部クーデタやそれに準ずるものが発生しています。その経過をまとめると以下のようになります。
1960年 民主党政権が軍部クーデタで崩壊
1980年 軍部クーデタ、軍部の全権掌握
1997年 軍部の勧告でエルバカン首相辞任
2016年 軍の一部によるクーデタ未遂事件
軍部と政権の対立の構図は「軍部・政教分離 VS 政権・イスラム主義」となります。では、なぜ、このような対立が生ずるのか、原因を探るべく、トルコの現代史をおさらいします。
トルコの前身のオスマン帝国は第1次世界大戦に敗れ、スルタン政府はセーヴル条約に調印し、連合国側の領土割譲に応じます。軍人のムスタファ・ケマルたちがつくった臨時政府はこれを認めません。ケマルらは侵攻してきたギリシア軍に勝利し、イズミル地方を奪還し、その名声と政権の基盤を築きます。
ムスタファ・ケマルはオスマン帝国を消滅させるべきと考えて、1922年、スルタン制(皇帝制)を廃止することを宣言します。こうして、600年以上続いたオスマン帝国は滅亡しました。
そして、トルコ共和国の成立が宣言され、初代大統領には、ムスタファ・ケマルが就任し、首都はイスタンブールからアンカラに移されました。
ケマルは、1924年、トルコ共和国憲法を制定し、政治と宗教の分離を定め、カリフ制を廃止しました。ケマルは、イスラム暦を廃止し、太陽暦を採用し、女性解放などの近代化政策をおこない、イスラムの宗教戒律に拘泥することを排除します。
ケマルは1928年、アラビア文字を廃止し、トルコ語の表記をローマ字に改めます。トルコの近代化に努めたケマルに対し、議会は「アタテュルク(トルコの父の意味)」の尊称を贈ります。
建国の祖ケマルは政教分離を強く推し進め、それがトルコの国是となりますが、1938年のケマルの死後、イスラム主義が復活しはじめます。国民の多くがそれを望んだのです。政治家にとっても、イスラム主義を掲げ、国民の自尊心を満たす方が票に繋がりやすかったのです。
こうして、政権が保守化していくと、その度に、ケマル主義(政教分離)を重視する軍部が反発します。トルコの軍部では、ケマルこそが神のような存在であり、ケマル主義を体現することが使命とされます。そして、軍部がクーデタなどで、政権を倒し、政教分離を確保します。
しかし、今回は軍の一部によるクーデタが失敗したことから、エルドアン政権がますます、イスラム主義や保守色を強めていくことになるのではないかと見られています。
著作家 宇山卓栄
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。著作家。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『イラスト図解世界史』(学研)、『日本の今の問題はすでに{世界史}が解決している』(学研)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史で学べ! 間違いだらけの民主主義』(かんき出版)などがある。ブログ http://www.takueiuyama.com/column.html