前法王が語った「生前退位」の事情

世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王の地位を生前退位したベネディクト16世(在位2005年4月~2013年2月)がこのほどイタリア日刊紙「ラ・レプッブリカ」(La Repubblicap)とのインタビューに応じ、生前退位を表明した背景について詳細に説明する一方、退位後の日々について語っている。

そこでバチカン放送独語電子版が報じたイタリア日刊紙とのインタビュー記事(8月24日付)を参考に、ベネディクト16世の生前退位の背景、その後の日々について報告する。

第265代ローマ法王ベネディクト16世は2013年2月28日、ローマ・カトリック教会史上、719年ぶりに生前退位した。在位期間は約8年間だった。その生前退位を決断した理由について、「2012年3月23日から28日までのメキシコとキューバ訪問が決定的な契機となった。生前退位はもはや避けられないという思いが湧いてきた」という。南米訪問が生前退位を決断する上で大きな契機となったという内容は初めてだ。

バチカン法王庁の欧州と訪問先の南米では気候も環境も大きく異なる。公式行事が重なった南米訪問は強靭な体力を誇ってきたベネディクト16世をして「もはやこれ以上、公務をこなすことはできない」という思いが湧くほどだった。換言すれば、体力、健康の限界を強く感じたわけだ。ベネディクト16世は当時、85歳の誕生日を迎える直前だった(「法王と『カリブに浮かぶ赤い島』」2012年3月30日参考)。

同16世は、「法王の職務を継続したいという思いはあった。例えば、『信仰に関する回勅』を完成したかった。しかし、2013年は多くの課題が控えていた。多分、自分はそれらを最後まで全うできないだろうと思った」という。

同16世曰く、「メキシコ、キューバの南米訪問をもう一度する体力は自分にはなかった。なぜならば、翌年(13年)にはリオデジャネイロで世界青年集会の開催が予定されていた。ローマ法王の参加が必要な重要イベントだ」と説明。同時に、「自分が生前退位しても、後継者が神の御心を継続し、自分が残した使命を全うしてくれるという確信はあった」という。

ベネディクト16世はその直後、医者に相談し、リオ開催の世界青年大会に参加しないことを決意し、生前退位を決断している。

生前退位後については、バチカン庭園内にあるマーテル・エクレジエ修道院で住み、神のため、後継者のために祈る生活を始めようと考えた。同修道院は以前、バチカン放送所長が居住していたが、その後、祈祷院に変わり、修道女が去ると、同修道院が空いた。そこで退位後、ベネディクト16世は同修道院で祈りの生活を始めることにしたわけだ。

その結果、バチカンにはフランシスコ法王と前法王のベネディクト16世という2人の法王がいる異常な状況になった。ベネディクト16世は、「後継法王フランシスコに対する忠誠の思いは全く変わらない。フランシスコ法王に対して連帯感と友情関係が生まれてきた」と明らかにしている。フランシスコ法王は法王選出直後、自分に電話をかけ、重要な司牧訪問前には必ず連絡してくれる。親子、兄弟のような関係だという。

在位27年間を務めたヨハネ・パウロ2世後、ローマ法王に選出されたベネディクト16世の8年間の在位期間はまさに波乱万丈の時代だった。聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚し、その対応に追われる一方、法王の執事(当時)がべネディクト16世の執務室や法王の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン氏の部屋から法王宛の個人書簡や内部文書などを盗み出し、ジャーナリストに流した通称「バチリークス」事件が発生。同時に、バチカン銀行の不正問題やマネーロンダリングが暴露されるなど、不祥事が次から次と多発した。また、ベネディクト16世の生前退位の背景にはバチカン内の改革派と反改革派の抗争があったと一部で推測されていた。

ベネディクト16世は「生前退位の直接の理由は南米訪問で体力の限界を知ったことだ」と初めて明らかにしたわけだ。換言すれば、ベネディクト16世は、南米訪問後の2012年4月から翌年2月まで約10カ月間、教会にとって719年ぶりとなる「法王の生前退位」の準備を慎重に進めていったわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。