「シン・ゴジラ」にみる日本的意思決定

池田 信夫

きょうは台風で暇になったので、話題の「シン・ゴジラ」を見た。怪獣映画なんか見たのは子供のとき以来だが、編集者に「あれは怪獣映画じゃなくて意思決定がテーマですよ」といわれたからだ。たしかに全体の半分ぐらいが会議で、ネットでは「無駄な会議が多くて退屈だ」という批判があるようだが、あれはねらいだと思う。

劇場で見ると圧倒されるのは、特撮(ほとんどCG)のすごさだ。昔のゴジラはいかにも模型という感じだったが、この映画で武蔵小杉のタワーマンションを倒すシーンなどはリアルで、特撮技術もここまで進歩したのかと感心した。この密度で2時間やると予算がもたない…という消極的な理由もあるだろうが、たしかに霞ヶ関の会議が多い。

会議のディテールはよく取材しており、首相がやたらにどなり散らすところは震災のときの某首相のパロディだし、「有識者会議」ばかり開いて何も決まらないところも民主党政権を笑っているのだろうが、実際の菅内閣はもっとひどかった。

映画では「閣議決定で**法を出す」というシーンがたくさん出てくるが、民主党政権は震災のとき、ほとんど閣議決定をしていない。法律も出していない。「閣僚会議」と称する非公式の会合で「閣議了解」なる根拠法のない決定を乱発したのだ。

某首相が原発を止めたときも、原子力規制委員会はその「超法規的」な決定を追認し、3ページのメモで全国の原発を止めてしまった。止めたプロセスが非合法だから、合法的に運転再開できない。改正された原子炉等規制法でも、原発のバックフィットに関する規定はいまだに欠けたままで、関連法も委員会規則もない。

これは庵野監督のような普通の民間人には、理解不能だろう。映画では過剰に法律で決まるように描かれているが、逆なのだ。日本では三反園知事のような「無法者」が政治を決め、官僚はそれを法律で追認し、マスコミが「法を超えた正義」を応援するのだ(映画にはマスコミが出てこない)。

そんなわけで映画の危機管理は実際よりはるかにましだが、それでも普通の日本人が見たらイライラすると思う。ゴジラに対する攻撃で、人命より「憲法違反」を心配するところはうまく描いている。危機管理にアメリカが介入するのもおもしろいが、ゴジラに核兵器を使う国連決議が出るのは、ちょっとおかしい。

もちろん怪獣映画にそんなリアリティを求めるのは野暮だし、これ以上はネタバレになるのでやめておくが、民主党政権はもっとでたらめだった。そこをリアルに描けばよかったかもしれないが、あまりにもバカバカしくて世界には売れないだろう。