久々のシンガポール。すっきり行けた理由は。

タリーズの譲渡後はシンガポールに移り住み(07~09年)、子どもの頃からの夢だった「日本食を世界へ」と孤軍奮闘していました。

2010年の初頭に出馬のオファーがあり、私のその後の6年間は思わぬ方向に進んでしまったわけですが、先日は久々にシンガポールを訪れることが出来ました。

その理由や現地の状況等は折を見てアップしたいと思いますが、今日は出発する際にスッキリしたことがあったので、それを一つだけ。

実は国会議員でいる間に窮屈に感じていたことの一つが海外渡航でした。

出発日の前には「議員運営委員会(議運)理事会」にお伺いを立て、航空会社・宿泊ホテル・目的とスケジュール・同行者等を記載し、事前に承認を得なくてはなりません。8日以上の渡航となると、本会議マターになります(つまり、わざわざ国会の「本会議」にかけられるので何日も前から本会議の開催日を予測し、準備をしなくてはなりません。勿論、否認される場合もあるということです…汗)。

議運では、何かの法案に反対をして与党に睨まれている場合や、第一野党に協力せずに不満を覚えられているような時は、色々難癖をつけられて引き伸ばし作戦にあったり、重箱の隅をつつくような質問をされたり、最悪な場合は断られたりすることもあります。

議運に理事を出せる政党(参議院では所属議員10人以上)であれば、不当な話にはその場で反論や交渉をすることが出来ますが、小さな政党の場合はそれも出来ません。ブラックボックス的な理事会開催後に却下されたことを知らされます。その場合は諦めるか、国対委員長や党首が他党の担当者の事務所をひたすら回って再度議運の議事にのせて頂くことをお願いするしかありません(私も猪木さんのパラオ等の渡航の際は何度もお願いをして回りましたw)。

勿論、国会期間中は海外へ行くことは極力控えて、国会に集中するという意味合いは分かります。しかし、日本の長い会期中にはエアポケット的な時間帯もあり(例えば、衆議院から参議院に予算や法案がまわってくるまでタイムギャップがあります。予算が先行ですので、国会期間中とはいえ、3月まで参議院は比較的時間があるのです。またGW等、国会が開店休業になる期間もあります)。そのような時間を有効に使って、見聞を広めるためにも海外渡航をするのは問題がないはずです。
(閣僚も渡航には承認が必要ですが、それは具合が悪い時に委員会等での質問を避ける為に海外逃亡をする可能性を食い止める効果があります)

そもそも、この海外渡航規制は終戦直後の昭和22年(1947年)につくられたものです。当時の国会議員が海外視察に行くのは大変なイベントだったと思いますし、通信手段も発達していなかったので、何かの時には連絡が取れないという事態も想定しなくてはなりません。国内にいるのと変わらないように電話もメールも瞬時にできる時代に、規則をそのままにしておくこと自体が怠慢なことだと思います。

*それ以外にも、国会の規則は変なものばかり。国会議員の意味不明な「服装規制」について国会で議論したことがありましたので、こちらをご覧ください
http://ameblo.jp/koutamatsuda/entry-11933255313.html
http://ameblo.jp/koutamatsuda/entry-11941536982.html

また、怠慢さゆえにこの規則が変えられていないというのもありますが、真の理由は、このような規則が残っている方が与党や大政党にとっては色々と有利に働くというのが本音のところでしょう。つまり、「あまり盾突くと、海外渡航が必要な時に承認しないぞ」という武器になるからです。大きな武器には見えないかもしれませんが、このような小さな武器(規制)が随所に張り巡らされていると「歯向かうと色々と面倒なことがあるので、大人しくてよう」という心理が働くのは間違いありません。これも日本特有の「村社会」的な発想で、「永田村」と呼ばれる所以ではないでしょうか。

ということで、今回は久々に報告の必要なく、すっきり自由に渡航することができました(笑)
「仕事8:リラックス2」ぐらいの比率でしたが、事業や規制改革のヒントも色々と得ることができたので、また後日ご紹介させて頂きたいと思います!

因みに国会議員は申請書に「政治・経済視察」と書いても、「仕事5以下:遊び5以上」の人たちが非常に多いのも事実です。そんな「外遊」の為に現地の大使館や駐在員を「便宜供与」と銘打ってこき使うのも止めるべきですね。


編集部より:この記事は、タリーズコーヒージャパン創業者、前参議院議員の松田公太氏のオフィシャルブログ 2016年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は松田公太オフィシャルブログをご覧ください。