「深紅の大優勝旗」―夏の甲子園の優勝旗はそう呼ばれます。甲子園に関わる者にとってその存在は、言わば“御神体”であり、直視することも触れることも憚られる特別のオーラを放っています。
ちなみに、春の優勝旗は「紫紺の大優勝旗」。夏は優勝旗しかありませんが、春の選抜大会には準優勝旗もあります。
深紅の旗に描かれているのは、両翼を大きく広げた鳥(おそらく鳩と思われるものの、くちばしと眼光は鋭い)と“Victoribus Palmae”の文字。ラテン語で「勝者に栄光あれ」を意味しますが、春の優勝旗には“Victory”としか描かれていないそうです。
一人の勝者が誕生する陰には、何百、何千、何万という敗者が存在します。「勝者に栄光あれ」という言葉は、そういう意味で大変重く、また同時にきわめて厳しい言葉だと思います。
「勝者に栄光あれ」という言葉の響きは実に晴れがましいですが、その言葉をひっくり返して解釈すれば、勝者以外に栄光なし、つまりいかなる闘いにも闘う以上「絶対に負けてはならない!」と叱咤・鼓舞されているように聞こえます。
しかしその言葉が敢えて、全国高等学校野球選手権大会の優勝旗に刻まれているということが、教育上とても重要であると私は思います。
なぜ夏の優勝旗にしか“Victoribus Palmae”の文字はないのか。
なぜ夏の大会に、準優勝旗は存在しないのか。
このことに思いをいたす時、真の「勝者の条件」とは何かを教えられる気がします。
誰にも負けていない者こそが真の勝者
夏の甲子園大会はトーナメント制で、都道府県大会で一度も負けていないチームが甲子園に出場します。
それに対して春の甲子園は「選抜大会」という言葉が示す通り、必ずしも予選大会で全勝しなくても甲子園に出場することができます。都道府県大会で2位までに入れば地方大会に出場でき、その地方大会でベスト4までに入れば甲子園に出場が決まります。関東大会では、場合によっては5位でも出られることがあります。また21世紀枠などの特別枠があり、さらに1、2校出場することもあります。
もちろん春夏とも、甲子園での対戦にはすべて勝利しなければ優勝できないことは変わりありません。ただ7月の予選大会も含め、猛暑に繰り広げられる全試合に一度も負けることなく勝利し続け、“てっぺん”を掴んだ者だけがあの深紅の大優勝旗を手にすることができるのです。
自分自身に勝利した者が真の勝者
真の勝者となる一番の条件とは何か。
それは「自分自身に負けない」ことだと、私は思います。
リオ五輪の金メダリストとなった作新学院卒の萩野公介選手も、母校でのインタビューで「一番の敵は自分の弱さ」という言葉を残していますし、チームを甲子園優勝に導いた小針崇宏監督も「敵は己の内にあり」という言葉を、選手たちに対しよく口にするそうです。
萩野選手は、試合はもとより日頃の練習でもプールを一本一本泳ぐ際、今の泳ぎは自分に勝てたか、それとも負けたかを、毎回ジャッジしながら泳ぐのだそうです。そんな厳しく過酷な自分自身との闘いの積み重ねが、タイムとなり試合の結果となって表れてくるわけです。
自分との闘いの積み重ねが人生を形成していくことは、アスリートに限ったことではありません。
担わされた試練の重さに負けず、自分の運命から逃げなかった者だけが、人生の真の勝者となる、それはすべての人にあてはまることだと思います。
責任と使命を果たしうる者こそが真の勝者
甲子園で優勝が決まり、青空に両手を突き上げたその瞬間の感激と興奮が次第に収まってきた頃、閉会式が始まります。
優勝校に優勝旗と優勝盾が贈呈され、優勝した選手たちには金メダル、準優勝の選手たちには銀メダルが贈られた後、両校の選手たちは優勝旗を先頭に球場内を一周します。
「あぁ、これが“てっぺん”からの景色というものか…」
どこか現実感のない、まるで夢の中を漂っているような気分でアルプススタンドからその光景を見ていた私は、優勝達成の感慨とクロスして、底知れない怖さがサワサワと込み上げてくるのを感じました。
無我夢中でただ上だけを目指しひたすら駆け上がってきた結果、3876校にのぼる出場校の頂点というとんでもない高みに登ってしまったことに、思わず足がすくんでしまったのだと思います。
特に、準優勝校の選手たちが場内を一周している姿には、胸を締めつけられました。選手はもとより、応援にいらした方々の気持ちを考えると胸をえぐられるようで、いたたまれない気持ちに苛まれました。
自分自身これまで幾度となく敗北を喫し、悔し涙にくれてきたからこそ痛感する、何にも代えがたい勝利の歓喜と敗北の寂寥でした。
勝負には勝つか負けるかしかない、一度勝負を挑んだ以上、勝利するより他に道なしということを、この光景は焼印の如く熱く痛く胸に刻んでくれました。
高みに至った者には、その栄光を受けるに相応な「責任」と「使命」が生涯に亘って付与されます。栄光だけを手にして、責任や使命をおろそかにすれば、天は容赦なくその者からすべてを奪い取り、人生の地獄に突き落す。そのことを、作新学院は131年の歴史の中から身をもって学んできました。
与えられた栄光に背かぬ責任と使命を果たすべく、作新学院が今後どれだけ有為な人材を世の中に送り出せるか。また学院の持てる力を総結集して、理想とする世界を作り未来を切り拓いて行くため、有意義な活動を展開し続けて行けるか。
天の審判は、次なる勝敗となってまた現れて来るのだと思います。
閉会式の終わり、掲揚されていた日の丸や大会旗が降納される中、優勝校の校旗だけは最後まで降ろされることなく、甲子園の風にはためき続けます。
勝者に栄光あれと、甲子園の空が、風が、光に満ちて祝福を告げてくれた一瞬でした。
畑 恵