志と憤、知と行、敬と恥

北尾 吉孝

今週月曜日、SBIグループは内定者懇親会を執り行いました。本ブログでは以下、私の彼等への訓話の一部を記しておきます。
 
 
私も齢65歳になり、「企業人として成功する秘訣って何かなぁ?」とつくづく考えてみますと、「やはり一番大事なのは人間力かなぁ」と思っています。

本日諸君に対するはなむけの言葉として、その人間力をどうやって高めて行くかに関して、私が常日頃から思っていることを話しておきます。

一つ目は「志」と「憤」ということです。此の志というのは、夢と理解している人もいるかもしれません。あるいは、ロマンや理想を達成しようとする強い意志というふうに感じている人もいるかもしれません。

このように定義は様々ですが、はっきりしているのは、此の志を立てることから貴方達の人生が始まると言っても過言ではないということです。志とは「この二度とない人生、どう生くべきか」といった意味での根本目標となるものです。

人間というのは、志を立ててもその道半ばで崩れて行くことがよくあります。それは一つに、私利私欲が貴方達の志を曇らせるからです。

『三国志』の英雄・諸葛孔明は五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた遺言書の中に「澹泊明志(たんぱくめいし)」と認(したた)めました。

之は「私利私欲に溺れることなく淡泊でなければ志を明らかにできない」という意味です。志を立て持続するには、淡泊でなければなりません。

志が高ければ途中で挫折することもありましょう。しかし私は志が高ければ高い程良いと考えます。志高ければそれを達成する為、より自分を厳しく律して行かなければなりません。

その時にということが必要になります。貴方達は此の憤の一字を抱き、「自分も発奮してもっと頑張ろう」「何が何でもやり遂げるんだ」という気持ちを忘れずに、志を成し遂げるべく邁進して貰いたいと思います。

二つ目は「知」と「行」ということです。知(…物事を知っているという状況)は、少し勉強すれば誰でも簡単に得られます。ところが、知を得ただけでは単なる知識人になるだけです。

之を少なくとも見識(…知識を踏まえ善悪の判断ができるようになった状態)に持って行かなければなりません。

しかし企業人として成功して行く為には、それだけでは不十分です。即ち、それを胆識(…勇気ある実行力を伴った見識)にまで高めて行かなければならないのです。

陽明学の祖である王陽明の『伝習録』の中に、「知は行の始めなり。行は知の成るなり」という言葉があります。

知と行とが一体になる「知行合一(ちぎょうごういつ、ちこうごういつ)」でなくして、真理には達し得ないということです。

知と行が相俟って知行合一的に動く中で、その人の人間力を高めて行きます。知で得たものを自分の血となり肉となるようにして行かなければなりません。之は行を通じ初めて出来るものであります。

三つ目は「敬」と「恥」ということです。人間というのは本質的に敬と恥の関係を常に有しているものです。「あぁ、なんて立派な人だ。尊敬に値する人だなぁ」と思う反面、「それに引き換え自分は、まだまだだなぁ。恥ずかしい」という気が当然起こります。

此の敬と恥が相俟って、人間あるいは社会を成長させる原動力になるのです。つまりは恥じ入った者が感化されて発奮し頑張ろうと素直に思うことで、大きく言えば人類をあらゆる面でより良きものにさせて行く一つの原動力になるわけです。

従って、貴方達は「誰それはあゝだ斯(こ)うだと他人の批判ばかり」で詰らん話をするのでなく、寧ろ美点凝視を徹底しその「人の美」を追求し、その人の優れた所を真似て自分に取り込んで行こうとならなければなりません。

以上、今申し上げた「志」と「憤」、「知」と「行」、そして「敬」と「恥」ということを、よく頭に入れておいて貰いたいと思います。

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