先日、「オートファジーの仕組みの解明」を理由として、2016年のノーベル医学生理学賞に大隅良典東京工業大栄誉教授が決まりました。まずはおめでとうございます。
ところで、ノーベルといえば、ダイナマイトなどを発明したスウェーデンの化学者で実業家のアルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel)さんのことですね。同じ様に個人名を冠した世界的な賞として、フィールズ賞やピューリッツァー賞などが有名です。
どういう訳か、個人の名を冠したもので、国際的に周知され、権威のある賞は、ことごとく欧米のものです。アジアにはただの一つもありません。もしあったら挙げて下さい(孔子平和賞とかガンディー平和賞とか言わないで下さい)。そもそも世界的に見ても、どういう訳か国際的に権威ある賞は、個人の名を冠したものが多く、映画の「アカデミー賞」などは、むしろ例外といえます。日本にも「京都賞」とか、NHKの「日本賞」などがありますが、国際的にはほとんど無名というのが実態だと思います。
宮本茂と宮﨑駿という二人の世界的クリエイター
果たして、今後、日本からその種の賞が生まれることがあるでしょうか。唯一可能性が考えられるとしたら、ポップカルチャー(という呼び名でよいのか否かはともかく)の分野だと確信します。先のリオ・オリンピック閉会式でも大きな話題になりましたが、日本のビデオゲームやアニメがグローバルな人気を博して久しいです。
少し前、日本文学振興会が「文学を知らなければどうやって人生を想像するのだ(アニメか?)」などというコピーを発表して非難を浴びましたが、文学関係者にはしばしばこの種の偏見が見られます。しかし、文学・映画・アニメ・マンガなどのジャンルは、フィションの表現方法の違いでしかなく、それぞれに一長一短があります。優劣を論じるのは、誤解や先入観があるからです。優れた原作、色彩・動画表現、BGM・効果音、そして声優の演技などが合わさって出来上がる総合的な芸術こそ、アニメなのです。
ちなみにですが、直木賞や芥川賞のように、小説の分野でも、個人の名を冠したもののほうが、そうでないものと比べて、権威とバリューを感じさせるから不思議です。
幸いポップカルチャーの分野では、世界的な巨人が日本にいます。ひとりはマリオの生みの親である宮本茂氏で、もうひとりがジブリの宮﨑駿氏です。
そこで、ご本人の意志はともかくとして、とりあえず以下の賞が考えられます。
“Miyamoto video game award”
“Miyazaki anime award”
この二つならば「個人の名を冠した国際的に権威ある賞」になる可能性があります。
ただし、まだ歴史の浅いビデオゲームはともかくとして、アニメ関連の賞はライバルが多い。アカデミー賞でも2001年から「長編アニメ賞」を設けています。その他にも欧米の映画祭系のアニメ賞がたくさんあります。
米のアカデミー長編アニメ賞を越えるには?
やはり、世界の頂点に立つ賞にするには、もうひと工夫ほしいところです。そこで高畑勲氏とピクサー社のジョン・ラセター氏の存在も合わせてはどうかと思います。つまり、
“Miyazaki Takahata Lasseter anime award”
というわけです。これにより、その年に公開された商業アニメーションを三つのジャンルに分けて審査し、授与することが可能になります。たとえば、娯楽部門・芸術部門・3D部門という形です。むろん、もっとも娯楽性に優れたものが「ミヤザキ賞」、もっとも芸術性に優れたものが「タカハタ賞」、もっとも優れた3D作品が「ラセター賞」です。
アカデミー賞の「長編アニメ賞」は、「その年に全米で公開された作品の中でもっとも優れた長編アニメ映画」に与えられるとされています。それならば、この賞は「その年に全世界で上映された作品の中で」という枕詞を持たなければ、アカデミー長編アニメ賞よりも格上になりません。アニメ界の世界的三巨人をパッケージにする戦略には、それを世界の人々にすんなりと認めさせる意味も込められています。また、ラセター氏の取り込みには、授賞式を日米にまたがる世界的イベントにする思惑もあります。受賞作がアカデミー賞アニメ部門とダブっても、それはそれで大きな話題となるでしょう。
本人の反対をどう乗り越えるか?
仮にこの賞の創設が実現すれば、アカデミー長編アニメ賞を越えて、世界でもっとも権威あるアニメ関連の賞になると、私は確信しています。しかも、個人の名を冠した世界的に権威のある賞として、日本を含めアジアでは、ほとんど唯一の存在となるでしょう。
むろん、何も日本人の自尊心を満たすためだけに賞を創設するのではありません。広く内外の注目を集めることによって、アニメ作品への視聴を促し、もって産業を振興し、雇用を増やという意味もあります。日米で盛り上がれば、世界的なマーケットを獲得できる見込みに関して、ほぼ疑いないと思われます。また、経済効果を目論むだけでなく、才能ある後進を強く勇気付け、賞金で援助するという実際的な目的もあります。
そうすると、何もかもよい事尽くめのように思われますが、ただ、賞の創設に当たって一番の障害となるのが、私はご当人――とくに宮﨑駿氏―――の反対ではないかと予想しています。おそらく、この方は、自身が権威に祭り上げられるのは嫌だとして、反発する。しかも、一度言い始めたら、絶対に意固地になってきかない可能性が高い。「日本のものが世界的権威になるなんでトンデモない話だ」とか、ぷんぷん怒り始める。そこで、話の入口はジョン・ラセター氏にしたほうがいいのではないかと思います。
「ハイ、センセイ・ミヤザキ、今度、アニメの賞を作って、才能はあるが経済的に余裕のない若手を育てようという話があるんだが、協力してくれないかい?」
“かつぐ”といったら言葉は悪いですが、こんなふうにやる他ないかもしれません・・・。
フリーランスライター・山田高明
個人ブログ「フリー座」