第9条が幣原首相の提案なら国家への反逆でないのか

八幡 和郎

「最終解答 日本近現代史」(PHP文庫)を発刊しましたが、これは、近代日本史の諸問題にかなり割り切った回答を与えていこうという試みです。戦後レジームへの賛成派と反対派が議論していることはあまり意味がないことばかりで、もう少し現実的に考えれたほうが国益に適うというのが主張の根幹をなしています。

そこでいくつかのテーマについて、内容の一部を紹介しながら何度かに分けてアゴラの読者にも問題提起したいと思います。

本日は、憲法第9条がなぜ出てきたのかというのがテーマです。

第9条の考案者は幣原喜重郎首相だとマッカーサーはいっており、従って、押しつけではないとテレビ朝日がキャンペーンを張っていましたが、酷い話です。

たしかに、幣原は(何の役にも立たなかった)戦前のパリ不戦条約の立役者のひとりでその延長に第9条はありますからあり得ない話でありません。

しかし、マッカーサーに幣原首相が提案したとしても、首相としての立場でなく私的なものですし、日本政府にはあくまでもマッカーサーの意向として、ある意味で押しつけられたものです。

それに、首相である幣原が、元首たる天皇にもほかの閣僚にも相談せずに、日本が軍事力を持てないという憲法をマッカーサーが押しつけるように依頼したとすれば、これは、普通に考えて国家に対する重大な反逆です。さすがに外交官である幣原がそんな非常識なことをしたとは思えません。

それでは、マッカーサーがどういう前提でこの条項を提案したのかといえば、マッカーサーはその時点では核兵器を独占していたアメリカによる覇権は絶対的なものと考え、その庇護のもとにある日本をソ連が攻撃することなどないと考えていました。だから非武装でもいいという理屈です。また、沖縄の基地を永久保持すれば、本土には不要と考えたようです。

しかし、この前提はソ連の核武装で崩れました。中国が共産化することも、計算外でした。朝鮮戦争直前にも、日本の防衛力が必要というワシントンに対して拒否していましたが、戦争の勃発で警察予備隊を創設しました。

こうした①米国の核の独占は続く、②共産圏は戦争を起こさない、③沖縄の基地は自由に使えるという前提で第9条による非武装構想はできたのです。それが、ことごとく覆されたということを踏まえた議論が必要で、前提が変わったのですから、解釈を変えることは、変節ではありません。

むしろ、自衛隊と安保条約は、サンフランシスコ講和条約を結び、それを米国議会に批准してもらうための条件でした。そして、その後、沖縄返還も同盟国としての義務を適切に果たすことが前提です。こうしたものが一体となって、平和憲法の枠組みなのであって、第9条の文面を独立して論じても仕方ないと私は思います。

私は第9条の改正は必要ないと考えています。ただし、それは、日本が独立を回復するに当たって、日米安保や自衛隊の存在と3点セットだったということが前提であるべきだと思いますし、国際情勢の変化に応じて解釈の変更もあってしかるべきだというのが私の意見です。

歴史に謎はない(近現代史)

【アゴラ研究所より:おしらせ】八幡和郎さんが講師を勤める「アゴラ歴史塾」、19日にスタートです。詳しくはこちらのページへ。