昨日朝(2016年10月11日)配信された日経ウェブ版の記事「OPEC減産、1986年の教訓 相場上昇は限定的か」(編集部注・リンク先有料)を読んで、何か違和感が残った。記事そのものは良く分析されており、関係先への取材も十分なのだが、論調が気になった。
所用を終えて帰宅した本夕、再度この記事を読んでみた。違和感の所以が気になったからだ。
最後の「OPECは需要増こそが価格回復への近道と学んだのかもしれない」という一文も気になるが、再読して、価格低迷期間の見方が筆者と違うのだ、ということに気がついた。
この記事では「供給過剰が価格低迷を招いた点で、英石油大手BPは86年と今回の類似性を指摘する」とし、1986年のいわゆる「逆オイルショック」により下落した原油価格が「上昇基調に転ずるのは、2000年代に中国をはじめとするアジア需要が伸び始めてからだ」と書いている。
つまりこの記事では、現在の価格低迷はこれから10数年間続くかもしれない、と言っているのだ。
これは筆者の見方と異なる。
考えるに、この記事に欠落している視点は、OPEC各国の余剰生産能力の問題だ。
86年当時のOPECには膨大な余剰生産能力があった。だが現在は、サウジ以外にはほとんどない。これが「価格低迷期間」の見方の違いをもたらしているのではないだろうか。
1986年の「逆オイルショック」がなぜ起こったのかの詳細は、弊著『原油暴落の謎を解く』(2016年6月20日、文春新書)を参照して貰いたいが、これはある日突然起こったことではない。70年代の二度のオイルショックに遠因があることは、この記事でも紹介されているとおりだ。
だが「価格調整を担っていたサウジが増産に動いたこともあり」というのは誤解を招く表現だろう。
80年代初頭サウジは、価格下落への対応策として自らがスイングプロデューサー(調整生産役)となり、OPECとして史上初めて各国別の「生産枠」を導入させた。1982年3月のことである。だが各国はこの決定を守らなかった。
スイングプロデューサーとして需要減退を一手に引き受けていたサウジの原油生産量は、1981年の1026万B/Dから、1985年には360万B/Dにまで減少してしまった。そこでサウジは最終警告を発し、他のOPEC諸国が「生産枠」を守らないなら、シェアー獲得競争に打って出る、としていわゆる「ネットバック方式」(消費地の石油製品価格から逆算して原油価格を決定する方式)の販売を1985年に開始し、瞬く間に市場シェアーを回復したのだ。これが原因となって、86年に30ドル原油価格は10ドルを割りこむところまで下落した。
OPECはこの「逆オイルショック」への対応として、記事が紹介しているように、現実に2000万B/D生産しているところから、生産枠の1480万B/Dに減産することに合意したのだ。当時の生産能力は、1979年の生産量が3100万B/Dだったことから、ほぼ3000万B/D程度だったと推測できる。
つまり1986年のOPEC合意により、余剰生産能力が約1000万B/Dから約1500万B/Dにまで増えた、ということなのだ。
その結果、世界の石油需要量が増加しても、価格が上昇せずに供給し続けることができたのだ。
では、今回はどうであろうか。
9月28日の突然の「OPEC減産合意」とは、ほとんど現状追認である。
IEA月報2016年9月号によると、ほとんどのOPEC諸国が能力一杯の生産を続けており、余剰生産能力があるのは、政情不安により生産量が落ちているナイジェリアとリビアを除くと、サウジぐらいしかないのだ(イランの主張に反し、IEAは現状の360万B/D程度が生産能力とみており、余剰生産能力はほぼないと見ている)。
つまりこれから需要が増加して供給量にマッチし(リバランスが実現)、過剰在庫の調整が一服すると、OPECには余剰生産能力がないため、価格上昇によるシェール等非OPECの生産増でしか対応できない、ということになるのだ。
だから価格低迷は、86年からは10数年間つづいたが、今回はリバランスが実現する1~2年後までしか続かない、と筆者が考えるが如何なものであろうか。
編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年10月11日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。