意地悪な吉良上野介にとうとう堪忍袋の緒を切った浅野内匠頭、こういう構図で忠臣蔵は始まります。ところが、忠臣蔵で仇討ちされた吉良上野介は、地元の愛知県では領民思いの名君だったと今も語り継がれています。一方の浅野内匠頭は、短慮で怒りっぽく、実は家臣も迷惑で困っていたそうです。
どこかの本で読んだ話ですので史実のほどは分かりませんが、これが全くの嘘でないなら、一部は真実ではないことが定説として世間に流布し定着している、ということになります。もっと昔の源義経や、更に昔の聖徳太子になれば、今伝えられている話の半分以上は史実ではないでしょう。
死んでもラッパを離さなかった木口小平(日清戦争)、船内に残った部下を探しているうちに敵弾に倒れた軍神広瀬中佐(日露戦争)、敵陣を突破して爆死した爆弾三勇士(上海事変)、戦意高揚を目指した時の政府は、死をも怖れず任務を遂行したたくさんの勇者の物語を作り上げました。マスコミも国民もその物語に熱狂しました。その話は全くの捏造とまでは言いませんが、多少の、あるいはかなりの脚色があったことは事実でしょう。
出来ればそうあって欲しいと願う気持ち、もしそうであればストーリーとしてはうまく出来上がる、こうして真実とかけ離れた物語が作られていきます。それはいつの時代も同じです。田中角栄は、総理になった当初はコンピュータ付きブルドーザ、今太閤と持て囃されました。金脈問題で叩かれた後は、一転して権力と金の亡者と罵られました。最近では、彼ほどの決断力が今の政治家にもあったら、彼が今生きていたら、と再評価されています。
私たちが耳にする歴史話は、多分一部は真実かもしれませんが、全部が真実というわけではありません。誰かをヒーローに仕立て上げるために、又は、誰かを悪人に仕立て上げるために、真実は脚色され、ねじ曲げられていきます。その時々の時代背景や勢いや人々の気分によって、大小様々な誇張や無視、あるいは嘘さえもが塗り込められたことでしょう。歴史はそうやって恐らく作られてきたのだろうと思います。
木口小平がラッパを離さなくても離しても、本当はそんなことはどうでもいいのです。ただ私が思うのは、歴史を走り去った後、今は泉下でさぞや当惑、ないしは口惜しい思いをしている人たちもきっといるだろう、ということです。歴史家でない私には、彼らのその心情を察することしかできませんが….。
天野 信夫 無職(元中学教師)