英国の思想家トマス・モア(1478~1535年)が著書「ユートピア」を発表して今年で500年目を迎えた。それを記念したさまざまなシンポジウムが開催されているという。ユートピアという架空の国を考え、理想とする国家像を描きながら、モアは自身が生きていた世界と対比している。その世界は自由で民主的な国家というより、全体主義的な管理社会の様相が色濃い。モアのユートピア像はその4世紀後、共産主義世界として歴史の舞台に現れてくるわけだ。
モアは1478年、ロンドン生まれ。ヘンリー8世時代の大法官として活躍したが、同8世が教会法に反して夫人との婚姻を無効宣言し、固有の教会を創設した時、反対したために、最終的には退官させられ、反逆罪として処刑された。
人道主義者、法律家、外交官、政治家であったモアは「貧者の聖人」といわれ、地位や名誉から距離を置き、「国家の僕」として国家に忠実を尽くした一生を送った。モアは1516年に著した「ユートピア」の中で、飢餓や貧困ゆえに窃盗を犯した犯罪者への死刑に反対する一方、富豪家、貴族の社会的影響が排除された公平な社会を夢見ていた。
モアのユートピアには16世紀の世界に生きた知識人の理想への願望が表現されている。21世紀の現代から16世紀のユートピアを批判しても公平ではない(ちなみに、世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁は新ミレ二アムを迎えた西暦2000年、世界の政治家の守護聖人にトマス・モアを選出している)。
ここではユートピア(Utopia)を人類が描く理想郷と受け取って考えていく。モアの「ユートピア」後、さまざまなユートピア像が現れ、消えていった。その代表的な試みは無階級、平等、公正な社会建設を標榜した“共産主義”だが、その実験は失敗した。その主因はその思想の誤りもあるが、思想を実践すべき人間の未熟さが大きかった。ユートピアを叫び、インタ-ナショナリズムを標榜したが、多くは独裁者、圧制者となったことはまだ記憶に新しい。
最近では、イスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)は“カリフ制国の建設”を標榜している。しかし、その実態は国際テロ勢力に過ぎず、文化を建設できず、破壊を繰り返しているだけだ。
ところで、トマス・モアはユートピアの先駆者ではない。彼の前にも理想郷を模索する試みがあった。エジプトの奴隷時代から解放されたイスラエル民族はモーセに率いられ“乳と蜜の流れるカナンの地”を目指して荒野をさまよった。カナンの地はイスラエル民族に神が約束した地だった。すなわち、理想郷だったわけだ。
世界大戦を2度体験した人類は国連機関を創設した。その国連憲章では世界の平和実現が記されている。その内容は、ユートピアを求める人類の願いを反映したものだ。
冷戦が終焉し、ソ連が解体した直後、歴史は終着点に到着したと考えた米国の政治経済学者フランシス・フクヤマ氏は「歴史の終わり」を書いたが、その直後、バルカンでボスニア紛争が始まった。歴史は終わっていなかったのだ。ソ連の崩壊から25年が経過したが、新たなユートピアが出てくるだろうか。
21世紀の今日、人類は新しいフロンティアを求め、宇宙の開拓に力をいれてきた。木星、火星が視野に入ってきた。コンピューターが発達し、インターネットで世界にネットワークが構築され、人工知能(AI)はプロ棋士を破るまでにその能力を高めてきている。その一方、地球の温暖化、戦争・犯罪の多発、飢餓から自然災害など私たちを取り巻く環境圏はユートピアからは依然ほど遠い。
人類は常にユートピアを心の中に抱き続けてきた。科学技術の急速な発展で人類は近未来に輝かしい世界を実現できるといった夢を抱いたが、その科学技術が地球温暖化や戦争を誘発させている現実に直面し、人類のユートピアは“ディストピア”となってきた、と感じだす人々も出てきた。そして、現代人はもはやユートピアを語らなくなってきた。
人類の歴史を振り返ると、人類が困窮に直面し、社会がディストピアとなった時、それを克服するユートピアを求める声が高まってくる。われわれは今こそ、心の渇きを潤し、希望を感じることができる新たなユートピアを描こうではないか。
(同コラムはオーストリア国営放送と文化学者トーマス・マホ氏のインタビュー内容を参考)
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。