池田先生の「こども版」に似た本稿のタイトルは、「国籍の不思議」と言うブログ(大変参考になります)から拝借した文章です。
誰もが解っている筈の「国籍」ですが、意外に複雑で難しく、時代や国の体制によりその解釈・運用が大きく異って来た代物です。
西欧でも、法の制定手続きさえ整っていれば法律として成り立つた「法治国家時代」には、権力側が政敵への報復の道具として国籍を使うことは当たり前でした。
ましてや全体主義国家となれば、ナチスドイツが1935年にユダヤ人の国籍剥奪を決めた悪名高い「ニュールンベルグ法」を始め、政治的抵抗者から容赦なく国籍を剥奪した1980年代以前のソ連など、国籍の政治的悪用は枚挙に暇がありません。
現在でも、二重国籍を認めない国が多いアジア・アフリカでは、国籍法を政敵や少数民族の弾圧の道具として使うなど、国籍法と権力維持は切っても切れない関係にあります。
何世代も前から仏教国ミヤンマーで暮らして来たバングラデシュ系の回教徒少数民族の「ロヒンギャ」は、バングラデシュからの移民とみなすミヤンマーの世論の押され、ミヤンマー政府は国籍を認めず。過剰人口と貧困に悩むバングラデシュも国籍を否定し130万人が無国籍の状態に置かれていますが、ノーベル平和賞を受賞したミヤンマーの実力者スー・チー女史も口を拭ったままと言う政治的に大変微妙な問題に発展しています。
そのスー・チー女史が選挙で圧勝する前のミヤンマーの軍事政権は、スー・チー女史の子供が英国籍である事を利用して、憲法59条(国家元首の就任要件)に、本人や配偶者、子供が外国籍である場合は大統領にはなれないと言う公民権規定を盛り込んでスー・チー女史の大統領就任を阻止した事実を考えると国籍の政治的威力の大きさには驚きます。
これ等の悪例は「特定の国家に属している状態」を定める「国籍法」は厳格に決められていても、選挙権などを通じ社会の意思決定を担う権利(公民権)と言う概念が未熟な時代や国家で起きたものです。
一昔前の米国も、その例外ではありませんでした。
「We the people (我々国民)」の三語で始まる米国憲法の下で米国籍を持つた女性が、国民の仲間入りをして参政権を獲得したのは、建国後144年を経た 1920年で、誰もが知る公民権法が成立して人種、肌色、宗教、出自、性、出生国などの理由で国民を差別する事を禁じた公民権法が成立したのは、建国後188年後の1964年でした。
自前で「立憲民主制度」を確立し、常に「国籍」の持つ内容の改善に努力して来た諸国の「公民権」に対する感覚と公民権運動の歴史を持たずに、「国籍」と言う欧州生まれの概念を明治憲法で初めて導入した日本の「公民権」に対する感覚の違いは、「ワビサビ」の感覚の違いに通じます。
前稿でも触れましたが、「国籍法」は国内管轄事項とは言え国内法秩序と条約との優劣をどのように位置付けるかという難しい問題があり、世界情勢の変化や価値観の変動とは切っても切り離せない関係にあります。
特に、日本の様に条約は憲法には劣後しても法律には優先すると考える国とアメリカのように条約と法律が同順位であると考えている国、更にはEU諸国の様に条約に反する内容の国内立法が許されない国々など国籍法の定義が異なる国が増えて来ると問題は更に輻輳します。
そもそも。家族中心の戸籍法を個人の所属を定める国籍の原簿にするなど立法政策としても理屈に合わない「国籍法」は、一貫性を欠く過去の行政の運用が重なり早急に改廃する必要があります。
と同時に、政治的指導者の資格を限定するなどの公民権の見直しを含めた新しい法体系が必要なことは間違いありません。
永年米国に在住していても、米国の銃器の氾濫と政治指導者の二重国籍には反対の筆者としては、蓮舫代表の二重国籍問題には大きな関心を持っていますが、この事例の発生を絶好の機会に、この論議を一過性に終らせず国籍と公民権の違いの意味を考え、普遍的な議論に発展して欲しい物です。
特に気になりますのは、蓮舫問題の論議には国籍問題の将来はどうなるだろう?又、どうすべきか?と言う視点が余り見られない事です。
と同時に、日本にも多重国籍者を容認したほうが国益にプラスになる時代の到来も予想され、その様な時代には「永住権」「国籍」「公民権」の取り扱いを考え直すべきではないでしょうか?
次回の原稿ではこの点や国籍法で国民に課せられた努力目標と権力に課せられた信託義務の重さの違いなどにに触れて見たいと思います。