宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546年)が当時のローマ・カトリック教会の腐敗を糾弾し、「イエスのみ言葉だけに従う」といった信仰義認を提示し、贖宥行為の濫用を問いかけた「95箇条の論題」を発表してから来年10月で500年目を迎える。世界各地で様々なイベントが計画中だが、それに先駆け、ローマ法王フランシスコは10月31日から2日間の日程で福音ルーテル教会が主導のスウェ―デンを訪問し、新旧両教会の和解をアピールしている。
独週刊誌シュピーゲル最新号(10月29日号)はルターを「ドイツ社会、文化に消すことができない影響を与えた人物」と評価し、その足跡、影響などについて5週にわたり特集している。第1週の今回は「近代の最初の謀反人」(Der erste Rebell der Neuzeit)というタイトルを付け、ルターの人生を9頁に渡り振り返っている。
興味深い点は、ルターが誕生する前後、歴史的に見ても大きな出来事が次々と起きていることだ。ルターが生まれる前の1450年ごろ、ヨハネス・グーテンベルク(1398~1468年)が印刷機を発明した。ルターの「95箇条の論題」はその時代の恩恵を受け、印刷されて欧州全土に急速に拡大した。印刷機がなければ、宗教改革は生じなかったかもしれない。実際、ルターの「95箇条の議題」は合計200万部以上刷られたという記録があるほどだ。文字通り、歴史上、第1号のベストセラーだったわけだ。
その直後、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス(1451~1506年)は1492年、アメリカ大陸を発見した。これは初期グロバリゼーションの到来を告げる出来事だ。また、ルターと同時期のポーランド出身の天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473~1543年)は地球中心説(天動説)を否定し、太陽中心説(地動説)を主張して、ローマ・カトリック教会を震撼させた、といった具合だ。
少し文学的に表現するならば、ルターの誕生前後に時代が急速に膨らんだようにみえるのだ。新しい時代の転換期を準備するために、歴史が膨張し、多くの傑出した人物を出現させていったわけだ。
ルターの両親は息子を法学の世界に行かせたかった。その親の願いを受け法学を学び出した直後(1505年)、ルターは雷に打たれる寸前の危機に遭遇した。ルターは「聖アンナ、助けてください、助けてくだされば、私は直ぐに修道僧になります」と誓った話は有名だ。彼はその直後、実際、エアフルトの聖アウグスチノ修道院に入っている。
落雷の恐れが人生の進路を決定した、というわけだ。現在ではそのような人間はいないだろう。雷がどのように生じるかを知っているからだ。ルターは当時、落雷の危機から逃れた体験を神の導きと受け取ったわけだ。
現代では、臨死体験(Near Death Experience)後、神の世界に関心を寄せる人がいる。交通事故や病で死ぬ体験をした後、再生した人は人生を考え出す。アポロ宇宙飛行士の中には、神の伝道師になった人物がいた。死の恐怖や宇宙体験をした人間が宗教の門を叩くケースは少なくない。宗教改革者として歴史にその名前を残すルターもその1人だったわけだ。ちなみに、ルターは元修道女カタリナと結婚し、6人の子供を得ている。
ルターの宗教改革は、腐敗、堕落していたローマ・カトリック教会、法王に大きな衝撃を投じたが、同時に、キリスト教会を分裂させ、新旧両教会間の対立、紛争、戦争を引き起こし、その結果、多くの犠牲者が出たことも事実だろう。いずれにしても、ルターは近代に突入する歴史の先導者的役割を果たした人物だった。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。