ロゴスを失った政治の世界

米大統領選の敗北が決まった翌日の10日午前、ヒラリー・クリントン氏がニューヨークのホテルで選挙運動をしてくれた支持派の前で敗北演説をした。それをCNNで聞いたが、感動的な内容だった。当方はクリントン氏の支援者ではない。政治信条では共和党寄りだが、クリントン氏の演説内容は素晴らしかった。特に、若い世代に向けたアピールはクリントン氏の政治的遺言のような響きすら感じたほどだ。

「正しいと信じていることを信じ続け、辞めるべきではない。人生には時にはセットバックを甘受せざるを得ない瞬間もあるが、自身の信念を捨てないで邁進してほしい」という内容だったと記憶している。クリントン氏の後ろには主人のビル・クリントン元大統領が目頭を熱くしていた。彼も夫人の演説に感動を覚えていたのだろう。

それに先駆け、ドナルド・トランプ氏は支持者の前で勝利演説を行った。トランプ氏はメラニア夫人を含む全ての家族を連れ、舞台に立った。次期副大統領となった米インディアナ州のマイク・ペンス知事の紹介を受けて演壇に立ったトランプ氏は、「偉大な勝利だ。これはみんなの勝利だ」と述べる一方、「米国国民の全ての大統領になるように努力していく」と述べた。その後は自身の両親を含む家族一人ひとりに支援を感謝している。

正直言って、トランプ氏の勝利演説内容はそれが全てだった。大統領選の勝利演説とは思えないほど個人的な思いが中心だった。次期大統領のビジョンもトランプ氏の口からは出てこなかった。

トランプ氏の勝利演説を聞いた後、クリントン氏の敗北演説を聞いた人は、後者の演説内容が非常に素晴らしかった一方、前者の勝利演説の内容には物足りなさを感じたのではないだろうか。換言すれば、クリントン氏の演説は哲学的、論理的であり、まとまりがあった。一方、トランプ氏の演説はダラダラしていて、そこには哲学的思考も洗練された表現もなかった。

大統領選が演説コンテストだったならば、トランプ氏はクリントン氏に完敗するだろう。しかし、大統領選は演説コンテストではない。口下手でもその候補者の人格、品性が感じられれば有権者の心を捉える一方、名演説者でも感動を与えることができないケースがある。

それでは、米国民はクリントン氏にはなく、トランプ氏にはある「何」に惹かれ、同氏を選んだのだろうか。

「有権者は候補者の演説やその政治能力などどうでもいい。自身が抱えている問題や困難を解決してくれればいいだけだ」と諭されれば、そうかもしれない、と納得せざるを得ない。候補者の演説力、政治キャリア、品格などはひょっとしたらどうでもいいのかもしれない。

米国民の多くは、8年間続いたオバマ民主党政権に飽きたので、次は共和党大統領でもやらせてみようか、といった安易な思いがあったのかもしれない。それをさまざまな理屈と一方的な根拠を挙げて説明してもインテリは自己満足できたとしても、多くの人から「そんな理屈で投票したのではないよ」と一蹴されてしまうかもしれない。

しかし、それが事実ならば、事は深刻だ。国民が自身が抱える問題の解決策を提示してくれる候補者ならばそれで十分で、政治家の能力、キャリアなどもはや意味を失ってしまったことになるからだ。「政治不信」では表現できない世界だ。政治家を含む「言葉」(言霊)がもはやその意味を失ってきたことを意味するからだ。実際、大統領選に勝利したトランプ氏自身、選挙後と選挙前の「言葉」は同一ではなくなってきている。それをトランプ氏の柔軟性と評価するか、首尾一貫しない公約違反者とみるかは、立場によって異なるだろう。

政治家は実行力であり、演説力ではない。不言実行で十分かもしれない。米国民はクリントン氏の政治キャリアを知っているが、政治家のトランプ氏の実行力、政策力を知らない。しかし、米国民は全く政治家としてはニューカマーのトランプ氏を選んだ。特に、主要メディアがトランプ氏を批判し続け、「悪い悪い」と報じてきたので、かえってトランプ氏を選んだ有権者も少なくなかったはずだ。「言葉」の仕事であるメディアも有権者からその「言葉」を無視されたのだ。それに気づいているメディア関係者がどれだけいるだろうか。

エスタブリュシュメントといえば、クリントン氏もトランプ氏も同じだ。一方が政界のエスタブリッシュメントに、他方が経済界のエスタブリッシュメントに属している。両者とも少数民族出身者、貧困者、失業を恐れる労働者ではない。事実はその逆だ。どのエスタブリッシュメントを選ぶかを、如何なるエスタブリッシュメントにも属さず、むしろ彼らに怒りと一種の羨望を感じる非エスタブリッシュメントの有権者が決めるわけだ。選挙は一種の“ガス抜き”のような機能を果たしている。それ以上でも、それ以下でもないとすれば、民主主義の選挙そのものの意義を再考せざるを得なくなるのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。