誤解が誤解を呼んだ大脱線:『日米開戦と情報戦』

日米開戦と情報戦 (講談社現代新書)
森山 優
講談社
★★★★☆


著者が書いているように、われわれは歴史に対して神の立場にある。現代の価値観を戦時中に投影して、超越的に「慰安婦問題の本質は女性の人権だ」などと日本軍を裁いても、歴史から何も学ぶことはできない。そういう非歴史的な結果論ではなく、当時の人々の立場で考えることが大事だ。

日米開戦についても、満州事変に始まる「15年戦争」として日本軍の一貫した侵略戦争だったという歴史観がある一方で、「コミンテルンの謀略だ」という類の陰謀史観もある。本書も示すように現代の歴史学ではどちらも問題にならないのだが、自分の立場を補強するために都合のいい事実だけを拾い上げる人は多い。

そういうご都合主義は、戦争の当事者の性癖でもあった。日本軍の暗号がアメリカに筒抜けだったのは事実だが、米軍の暗号も日本に解読されていた。どちらの国の情報にもバイアスがあったため、誤解が誤解を呼んで開戦という誰も望んでいなかった結果に脱線したのだ。

日本政府は情報機関から上がってくる情報を軽視して「交渉でなんとかなる」と考え、軍は「早く交渉を打ち切る」という観点から情報を取捨選択したので、意思決定は支離滅裂になった。アメリカは逆にルーズベルト大統領の意志が過剰に反映され、ドイツと戦うために日本を戦争に巻き込むという方針で情報が解釈された。

もちろん日本の情報戦略は愚かだったが、少し責任者や決定の時期がずれていれば開戦は防げたかも知れない。戦略的な一貫性という点ではアメリカのほうがすぐれていたが、一貫していればいいというものではない。太平洋と大西洋の二正面で戦った戦争はアメリカにとってほとんど得るものがなく、フィリピンを失い、中国を共産圏に追いやってしまった。

ここから得られる教訓は、インテリジェンスは情報収集の技術だけでなく、それを活用するセンスや意思決定システムに依存するということだ。かつてスパイが命がけで収集した情報のほとんどは、今はネット検索で得られる。南部仏印進駐が日米戦争を招くと予言したのは、当時は政府の外にいた幣原喜重郎だけだった。

なお本書で「意思決定」を一貫して「意志決定」と表記しているのは、重版で訂正したほうがいい。